その10 彼の名は「トラバント」
初めて出会ったのは1994年ドイツ・アイゼナハにて・・彼の名は「トラバント」
このドイツの旅は私にとって初めて出会うものばかり。ザイフェンの工芸品もマルクト広場のしかけ時計も冷えてないビールも・・・そして車も。
ドイツのほぼ中央に位置する旧東ドイツ・アイゼナハで私は初めて彼を見ました。
写真を一枚、パチリ。彼が「トラバント」です。なんて、すてきなボディなのでしょう…。このへちょさがいいのです。
『Trabanto』 意味は「衛生」「仲間」。愛称はトラビ。 生産していたのは、カール・マルク市にあった東ドイツ国営企業のVEBザクセンリンク自動車工業。 全長3.5m、車幅1.5m、定員4人の小型乗用車。 1858年から1991年(ベルリンの壁崩壊は1989年)までの133年間で約310万台生産されました。エンジンは直列2気筒2ストローク??よくわかりませんが、なんせ原付バイクとかわらない馬力だとか。これで4人も乗って大丈夫だったのでしょうか。
コンセプトは「低コスト低燃費」。当時は年間生産が1万台くらいで、庶民にとっては10年待ちして手に入れる高級車でした。10年間モデルチェンジ無しってのも現代では考えられない事。西独の100倍有害な成分が含まれた排気ガスを放出してたし、「ボディが紙でできている」なんてうわさも流れるような、ちょっとなさけない車です。
相沢が今年ザイフェンで、トラバントのバンタイプを写真に納めていました。「汚い排気ガスを放出する車がまだ走っているんだな」と思っていたら、ハンガリーにおいては、現役が20万台も走っているとか。日本は1990年前後に輸入を試みる販売店があったそうですが、排気ガス規制により断念したそうですよ。
VEBザクセンリンク自動車工場は、その後何度か経営者は変わりましたが、今は「オペル社アイゼナハ工場」となっています。
おもちゃでも、木工芸品でも、陶磁器(マイセンが有名)でも、長い年月、同じ場所で同じようなものを、同じように作り続ける、そんなドイツ(特にドイツ東部)がやっぱり好きだな。
わが家のトラバント
(治井紀子)