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ベルリン3日目:バウハウス資料館

今日は7時に目が覚めた。目覚めはばっちり。昨日のような頭痛もない。よ〜し。とにかくまずは、アートヨガ1セットだ。

今日は、待望のバウハウス資料館へ行くのだ。みんなより出遅れてしまったが、シャワーを浴びて身支度をする。今回の旅は、電気製品(デジカメ、ICレコーダー、携帯電話、パソコン)をたくさん携行しているので、それらの面倒(充電、データをPCに移すなど)も見なくてはならない。慣れていないので、結構手間取ってしまう。

食堂に行くと、みんなすでに食事の終盤といった感じ。昨日と同様に好きな物を取って食べる。

ホテルの裏窓
ホテルの部屋で煙草を吸う相沢

ロビーでトシコさんと待ち合わせて、バウハウス資料館まで歩く。柿田さんの携帯電話がつながらないらしく、私の携帯でコールセンターに問い合わせて操作したら、上手くつながった。どうも、海外ローミングの接続先の電話会社の指定を自動にしていたのがよくなかった模様。裏通りを東に向かい、南北方向の大通り Schillstrasse に出る。

国際電話でビジネスの話をする社長2人(笑)

Landwehrkanal ランドヴェーエ運河を渡ったところにバウハウス資料館があった。「いつか行きたいね
」と柿田さんと話したのは何年前のことだったか。こうして本当に来てしまうなんて、自分でもびっくり。しかも、うれしいことにちょうど今、バウハウスチェスのデザインをした Josef Hartwig の特別展が開かれているのだ。このバウハウスチェスは、ここバウハウス資料館がネフ社に製作を依頼して、ネフ社から復刻版が販売されている。私自身とても気に入っている作品なので、この特別展にはとても期待している。

白を基調とした低層の建物は、周りと比べると控えめな印象。川のほとりという景観を生かした、静かな佇まいが好ましい。工場を思わせる屋根の明かり取りの凸凹が、直線でなく曲線というところがアクセントになっている。ただし、入り口の看板とポールだけは、赤青黄の3原色でド派手。でも落ち着きがある。入り口でしばし記念撮影。

道路側から資料館を見る
ついに来たぞ!バウハウス資料館

さっそく、中に入る。ずっと奥まで通路が続き、ゆるやかな下りスロープの先に、ミュージアムの入り口がある。ここでもまた記念撮影(完全におのぼりさんである)。

ミュージアム入り口で

入場料を支払って中に入る。地下のロッカー室に荷物を入れて戻る。入り口の向こうにガラスのショーケースがある。見てみると、ネフ社のキュービクス、オルナボやジーナ社のビブロス、ダネーゼ社の灰皿CUBOなどがある。値段が表示してあることを見ると、ミュージアムショップらしい。

ミュージアムショップに相沢の作品ビブロスが

しばしそこを見てから常設展示のコーナーへ。最初に大きなパネルがあって、バウハウスの歴史が説明されている。前畑さんとトシコさんは、音声ガイドの説明を聞いて、それを私たちに説明してくれる。1919年に生まれたバウハウスは、最初は手仕事・クラフトのための学校だったが、1923年に転機を迎え、芸術と技術をモットーにする。そういう目で展示作品を見ていくと、確かに1923年以前はクラフト色の強い作品が多いが、それ以後は機能美を追求したモダンなデザインが見られるようになる。ガラスや金属を使った作品に、それは顕著に見られる。最後は、バウハウス建築の模型が4点ほど、図面や写真とともに展示されている。

もう一つのコーナーは椅子と織物を集めている。同じマルセル・ブロイヤーの椅子でも、時代と共に進化していく様子がうかがえて興味深い。1924年はまだ木製の椅子だったのに、それが鉄パイプになり、パイプを曲げる技術によって、接合部が少なくなり、パイプの曲げ剛性を生かしたキャンティレバー式のクッションになっていくのだ。複雑なものが、技術の進歩と共にシンプルになり、デザインも洗練されていく・・・。ほかのみんなはとっくに先に進んでしまっているのだが、この「進化」の過程を本物で確認できるのが面白くて、つい長居してしまった。

そして、最後の展示室が、ヨゼフ・ハートヴィックの特別展だ。彼がデザインしたバウハウスチェスは、機能を極限まで追求する中から生まれ、バウハウスの考え方を最もよく表している作品だと思う。コマの動きを意匠に反映させるというアイデアは秀逸で、さらにそれがとても洗練された形に到達している。この完成度の高さは何だろう?今回の特別展では、きっと試作品なども見ることができるから、その秘密に迫れるのではないかと期待している。(しかしみんなすでに見終わっているか、もうすぐ終わりそうな感じ。ちょっと焦る)

部屋に入ると、あるある、いっぱいある。ガラスケースに収められた作品の数は10個ほど。なるほど、こんなにたくさんの作品を作っていたのか。しかも、最初の作品はかなり荒削りで、アイデアをそのまま形にしたような感じ。これが、いつも見慣れた最終デザインまで進化したとは!

予想外に試作品の数が多いのと、待たせては悪いので、図録を購入してそれを見ながら展示を見ることにする。1922年のモデル1から始まって、1924年のモデル16まで、16段階の改良をしたというのが、とにかく驚き。ひとつのステップごとに見ていくと、その改良の目的は明確でわかりやすい。コマの基本形を縦長の直方体から、立方体にしたり、ビショップの形を四角錐からX字型にしたり、座の部分を廃止したり・・・。こういった地道な改良の積み重ねが、後世に残るような完成度の高いデザインを生み出したのだ。当たり前だが、これこそが王道、近道はないのだ、ということを改めて実感する。

今の世の中で、このモデル16に相当するような「練りに練ったデザイン」が、どれほど存在するのだろうか。モデル7?下手するとモデル1のレベルのものでも、出回っているかもしれない。確かに、モデル1でも十分遊べるし、アイデアの素晴らしさは光っている。しかし、その後で、「もっとコマの動きが直感的にわかるように」、「もっと美しく」、「もっとコストを安く」できないだろうか?と問い続け、生産方法まで含めて検討し続けることで、最終形のモデル16に到達したのだ。その情熱がホントにすごい。