今日は二人の巨匠の誕生日

今日5月4日は、偉大なゲーム作家アレックス・ランドルフさんと、これまた偉大なおもちゃ作家クルト・ネフさんのお誕生日です。

ゲーム作家とおもちゃ作家では、ジャンルが違いすぎるので、このお二人を並べることに違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。でも私たちにとっては、お二人とも最も敬愛する作家・デザイナーなのです。

ランドルフさんのことを思い出して感謝の気持ちを表したいという想いで、ランドルフさんが亡くなった4年後の2008年から、お誕生日とご命日を記念して、作品展とガイスター大会を開催してきました。4年続けた後、4年お休みして、昨年久しぶりにランドルフ展を開催しました。いつもランドルフさんのゲームには触れているのですが、あらためてこういう機会を作って、感謝の気持ちを持つことは大事だなと思いました。

そして「他に感謝すべき人は誰だろう?」と考えて、真っ先に思い浮かんだのは、ネフ社創設者のクルト・ネフさんでした。ネフ社の積み木との出会いが百町森をここまで導いたといっても過言ではないほど影響を受けた方です。

ネフさんの伝記「Kurt Naef Der Spielzegmacher」で誕生日を調べると、1926年5月4日とありました。なんと(年は違いますが)ランドルフさんと同じ誕生日です。なんという偶然でしょう。これからは、5月4日は、ランドルフさんとネフさんに感謝して、思い起こす日にしたいと思います。

私見ではありますが、お二人には共通点もあるように思うのです。

  • 木のおもちゃ界、ボードゲーム界に多大な功績を残した偉大な父として周りから慕われていた。
  • 作者の権利を大切にした
    • ネフ社はデザイナーの名前を明記
    • ランドルフさんは作者の名前を箱に入れさせた功労者
  • ニッチな層ではなく、より広い人々にアプローチしようとした。
    • ネフさんは、子ども心/遊び心を大切に
    • ランドルフさんは、小さな子どものためのゲームを作り続けた。
  • 業界全体のために力を尽くした。

二人は出会っていたかもしれない

1980年代から1990年代のニュルンベルク玩具見本市で、などと夢想します。ランドルフさんの伝記「Die Sonnenseite」の中に、1988年のニュルンベルク玩具見本市で、ランドルフさんとアーウィン・グロンネッガー氏(ラベンスバーガー社のゲーム部門のリーダー)が一緒に写っている写真が掲載されています。おそらく、ランドルフさんもニュルンベルクに足を運んでいたに違いありません。遊び心のあるランドルフさんのことですから、ニュルンベルクで色々なおもちゃを見て回っているうちに、ネフ社のブースにふらりと立ち寄って…なんてことも十分あり得ます。もしそうだったら、クルト・ネフ氏と出会っていたことだってあったかも。

そしてもう一つ、ランドルフさんの作品の中に「Topolotoy」という「10cm角の立方体」を分割した積み木があるのです。「10cm角の立方体」の分割といえば、キュービックス、セラ、アゴンなどネフ社の積み木の真骨頂ではないですか。なにか影響があったのかも??

というのは私の妄想でしかありませんが(笑)、いつか明らかになる日が来るかもしれません。

注)Topolotoyの写真を見ると畳の上に置いてあるように見えるので、日本に住んでいた頃の試作品かもしれません。そうなると、1966年から72年の間の作品ということになります。キュービックスの発表が1968年なので、立方体を斜めにカットしたTopolotoy(1993年発売のアゴンに少し似ている)は、かなり先を行っていたと言えるかもしれません。

アレックス・ランドルフ Alex Randolph

2004年に亡くなったアレックス・ランドルフさんは、テーブルゲームのデザイナーとして多くの作品を残しました。2002年10月のエッセンの「Spiel」では、80歳を記念する特別展示があり、夜のパーティーでは参加者からお祝いされ、多くの人から慕われた長老的存在でもありました。

ランドルフさんのことを知るには、彼の伝記である「Die Sonnenseite(陽のあたる場所)」をご覧いただくのが一番良いのですが、なかなかのボリュームの労作ですし、ドイツ語版なので(笑)、箇条書きでまとめてみます。

  • チェコに生まれ、ベニスで育ち、スイスの寄宿学校で少年時代を過ごした後、シカゴ大学に行き、従軍してアフリカへ。終戦後オーストリアを経て、ボストンで広告の仕事をしたのち、ローマへ。突発的に、妻と日本に渡って将棋を学んだのち、再びベニスに戻ってゲーム作家として長く活動し、そこで永眠した人
  • 4ヶ国語(伊、英、独、仏)を自由に操る人
  • 100を超えるゲームを商品化した人
  • 16の作品が年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)もしくはノミネートもしくは推薦リストに選ばれた人
  • 「ゲーム考案者(作家)」という役割を考案した人
  • ゲームのパッケージに作者の名前を入れさせた人
  • 1966年から1972年の6年間、将棋を学ぶため日本に滞在した人
  • ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を現実に生きた人
  • ナイト跳び(桂馬跳び)に魅入られた人
  • 今なお販売されている「Twixt」(1962, 3M)の考案者

ランドルフ略年譜

Die Sonnenseite(陽のあたる場所)」から抜き書きしたもの。これまで、掲載していた年譜と異なりますが、こちらが正しいと思われます。ゲームの発売年は略。

年齢 できごと
1922.5.4 0 ボヘミア地方でアレックス誕生(現在のチェコ)
1924 2 ベニスに定住
1932? 10 スイスの寄宿学校
    ベニスのギムナジウム
1938 16 両親はコロラドの農場へ
    アレックスは「ナンセン旅券」で渡米
1940.9? 18 シカゴ大学入学
1942.12 20 大学3年を中断して従軍
    北アフリカ(カサブランカ→アルジェリア)へ
1945 23 オーストリアで終戦を迎える
1952 30 ゲアトルーデ(妻)と出会う
1954 32 「ネリーのおはなし」執筆
1954 32 最初の出版物「郵便船」
1955.6 33 母マリー死去
1958.10 36 ウィーンの「カフェ・ハヴェルカ」で友人のフォイアシュタインに「Twixt」のアイデアを見せる。
1959? 37 ボストンで広告代理店の編集者として働いている間に、ペントミノを再発見
1961 39 最初のゲーム「Pan-Kai パンカイ」発売
    アレックスとゲアトルーデ、ローマへ
1962 40 「Twixt トゥイクスト」発売
1966 44 将棋を学ぶため日本へ
1972 50 ベニスへ
1982 60 ザーガランド」が年間ゲーム大賞受賞
2004.4.27 81 ベニスにて永眠

百町森とランドルフさんとの関係については、百町森ブログ「アレックス・ランドルフさんのご命日によせて」をご覧ください。

クルト・ネフ Kurt Naef

おもちゃデザイナーであり、ネフ社の創業者として知られるクルト・ネフさんは、若いころ家具職人を修行をし、さらにインテリアデザインの学位を取得。結婚後は、バーゼルでモダンな家具を扱う店を開きました。その中で生まれたネフスピールという積み木がきっかけになって、おもちゃの世界に入りました。

ペア・クラーセン氏との出会いなどがあり、ネフ社のデザインとクオリティは広く知られるようになりました。

フィンランド・ユシラ社、ドイツのジーナ社、イタリアのレシオ社などとも親交があり、自分の作品を商品化してもいます。

クルト・ネフさんの生涯については、「Kurt Naef Der Spielzeugmacher」をぜひご覧ください。

クルト・ネフ略年譜

年齢 できごと
1926.5.4 0 スイス・バーゼル州のエプティンゲンで誕生
    農場で育つ。父は工場勤め、母が農場と家庭をみる。
  13 農場を手放し、トリムバッハへ転居
  16 家具職人になるため3年間の修行。
1951 25 インテリアデザインの学位取得。バーゼルの大きなホームデコレーションの会社で3年間働く
1952 26 アリス・ドゥンケルと結婚
1954 28 夫婦でバーゼルにインテリアデザインと美術工芸品の店を構える。モダンな家具やオリジナルデザインの家具を販売する。(2年後中心街に移転)
1956 30 おもちゃの道に入らせることになるきっかけとなるネフスピール誕生
1962 36 玩具の生産に専念
1967 41 ツァイニンゲンに自社工場建設。
    ピエール・クラーセンと出会う。この後、ネフさんはデザイナーとしてよりも、優れたものを選び取ること、そして生産と市場を準備することに専念するようになる。
1989 63 ネフ社から引退。引退後も、モデュロModulo、タベラTabella、グラデュスGradus、スパイラルSpiral、カウミKaumiなどの作品をコンスタントに発表。
    玩具店「プレイオン」開店(1998年まで)
1992 66 フランスに移住
2003 77 スイス・ツォフィンゲンに移住
2006 80 80歳を記念して、ネフの本「Kurt Naef Der Spielzeugmacher」がスイスで出版される
2006.11.30 80 永眠

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