2013年8月アーカイブ

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今年2月に行ったフレーベルの足跡を訪ねる旅、最後はドレスデンのフレーベル幼稚園を見学しました。

ソリで登園する子が可愛い!

オーバーなどはここに脱ぎます。

環境を中心に説明します。

私が注目したのは積み木のコーナー。

床で遊ぶ積み木のコーナーに、木製の大型の働く車(トラック、フォークリフト、ベルトコンベアー、クレーン車)が4台もあったことに私は感動しました。

さらに基尺3.3cmの園用積み木(フレーベルの恩物を発展させた積み木といわれています)の充実ぶり。

そしてこのコーナーの遊びを発展させるための素材選びが素晴らしく、量がすごいこと!

小さな自動車、人、動物、家や柵、石や貝殻・・・。日本でも参考にできそうです。

ドイツの幼稚園は、ほとんどが公立ですが、フレーベル幼稚園は、モンテッソーリ幼稚園やシュタイナー幼稚園と同様、特色を持つ私立幼稚園の一つです。

「そもそも幼稚園はフレーベルの考え方に基づいているはずなのに、なぜわざわざ『フレーベル』の名が付く幼稚園があるんだろう?」と、私は不思議に思いました。

今回案内してくれたブランケンハーゲルさんによると「確かに、フレーベルは幼稚園の創始者、幼稚園の父というべき存在で、どの幼稚園にも多大な影響を与えました。その中でフレーベル幼稚園は、彼の理念に忠実に保育をしようとする園だと言えます。」

積み木のコーナーの充実ぶりにも、そんな考えが反映されているのかもしれません。

恩物は他の遊ぶ道具とともに棚に有りましたが、日本でしばしば見うけるような、一個づつ個人に持たせ名前を書かせ、一斉に遊ばせるという物ではないようで、安心しました。

旧東ドイツということもあるのか、全体的にはプラスチックの容器や遊具が目立ちましたが、子供達はみんな落ち着いていて、安心してここにいるという感じでした。
CIMG1543.JPGさて、次の日2月7日、私たちはザクセン州の州都ドレスデンにあるアカデミーという施設の中で、フレーベルセンター所属の女性講師ブランケンハーゲル(Blankenhagel)さんに「フレーベルの遊びのコンセプト概念とは、幼稚園で実際どうこの概念を取り入れていくか」というテーマのCIMG1526.JPG研修、さらに、昼食(なんとお寿司を用意してくれました)をはさんでワークショップを受けました。

フレーベルによれば幼児は神のように生き神のように創造する能力の芽を持っているので、大人はこの芽を発展させる責任を持つ、そのために理想的な遊具を与えなければならず、幼児は遊具を通し真実(自然の法則や神の働き)を予感し、やがては認識にたどり着く。だから遊具は宇宙の法則を知らCIMG1579.JPGせるCIMG1581.JPGために神の賜CIMG1580.JPGえる贈物(ガーべ、日本語では恩物)でCIMG1609.JPGあるとしました。







〈遊具で真実を予感し、やがては認識にたどりつく〉

フレーベルの提唱した恩物、1番目は青、緑、黄、橙、赤、紫の6色の毛糸でできたボール、2番目は球と円柱と立方体を糸で吊すもの(後にこの3っつの形がフレーベルを象徴するものになり、お墓のモニュメントにもなった)です。球と立方体は対局にあるものだが真実という意味では同じでCIMG1622.JPG、球は母の持つハーモニー、立方体は父の持つ理性、円柱は両者を結ぶ仲介者(大人)を現CIMG1618.JPGしているということCIMG1616.JPGです。





また、3から6番は今で言う積み木、7から10番は今で言う平面構成遊びで、これらについても紹介がありました。



CIMG1630.JPG午後のワークショップでは3から6番を箱から出し、三つのグループに別れ、それぞれ協力しながら思いついた形を木の盤の上に作りました。量的には決して多くないのに、平面的にも立体的にも面白いものができることに参加者は皆驚き、あまりに盛り上がったので、ブランケンハーゲルさんも感激されているようすでした。最後に「ベイビーズ」というフランス映画を皆で見ました。(参考図書=CIMG1655.JPG荘司雅子著『フレーベルの生涯と思想』)

写真上から
1,2 アカデミーでセミナーを受けている様子
3,4,5,6, 恩物の3番で遊ぶ
7,8,9, 恩物の5番?で遊ぶ
10, お昼ごはんはお寿司でした。
11,12,13,14,15, 午後は恩物を数セット使い遊びました。
16, 最後は「ベイビーズ」というフランスの映画を観ました。
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CIMG1246.JPG2月6日、私たちはバート・ブランケンブルクを後にし、バスで40分くらい山奥に入った同じくチューリンゲン州オーバーヴァイスバッハにあるフレーベルが誕生した家を訪ねました。

幼児教育の祖として知られているフレーベルは、1782年この家に生まれました。今は記念館になっていて、向かいには牧師だったお父さんがいた教会があります。ガイドをしてくれた男性のエバーハート(Eberhardt)さんは私たちにフレーベルの生い立ちや生涯について話してくれました。

〈孤独だった子ども時代〉
誕生8ヶ月にして実の母を亡くしたフレーベル、4歳の時にやって来た義母に初めは可愛がられましたが、その後子どもが2人出来てからは自分には愛情を注いでは貰えなかったとのこと。厳格で忙しい父親はどういう理由からか彼を女の子の学校(当時男と女は別れていた)に通わせたということで、10歳に叔父(実母の兄で暖かくおだやかな牧師)の家に引き取られるまで孤独な子ども時代は続いたようです。

そんな中チューリンゲンの森だけが彼の孤独を癒してくれたようで、その後のフレーベルの自然の中から全宇宙の真理を見出すような哲学的思考へとつながっていったようです。また、フレーベルは父親も叔父も牧師だったことなどからキリスト教の影響を多く受け、自然の中にも神をみていたようです。そして、フレーベルが幼児を後々まで精神的、内面的に捉え、神性を宿すとした理由も、こうした彼の独自な生い立ちが影響していたのでしょう。「さあ、わたしたちの子どもらに生きようではないか!」という言葉はフレーベルの好みの標語だったそうですが、これも子どもに対する尋常でない思い入れが窺えます。

〈幼児は遊ぶことが教育〉
フレーベルは進学する経済力がなかったため15歳から様々な職業に就きましたが、23歳には偶然的に学校の先生にもなりました。いく度か大学に行くほど学問に対する熱意があり、また、ナポレオンと戦う義勇軍にも参加するほどの愛国心も強かったようです。

こうした中、職業の一つとしてなった教師でしたが、その経験は彼の心を熱くしたようで、そのころにフランクフルトにいたペスタロッチに出会ったことは、後の生き方を決定づけ、小学校の設立、不朽の名著といわれる『人間教育』の執筆、そして、晩年には幼児教育に関心が進み、幼稚園を作り、講演や募金活動をしながら幼稚園をドイツ全土に広めます。フレーベルはこの『人間教育』の中で「遊びは幼児の最も純粋な精神的なあらわれ」で、「幼児が熱心に遊びに没頭し、十分遊んでは疲れてよく眠っている様子は、最も美しい姿」と言い、幼児教育の根本は幼児を遊ばせながら導くことと説いています。

また、この著書には幼児に絵を描かせたり、歌を歌わせたりすることは、それが画家や歌手にさせるためではなく、それが人間として育つために重要だからだと説いています。つまり、幼児期に遊ぶことが大事だとする理由は、人間として育つためであって、これは今でいう早期教育の否定を示唆していると言えます。(エバーハートさんの話や荘司雅子著『フレーベルの生涯と思想』を参考に書きました。) 柿田友広

写真 上から
1、フレーベルの生家の前で
2、天井や床は当時のまま
3、生家の向かえにはお父さんが牧師をしていた教会がある
4、雪でおおわれたオーバーヴァイスバッハの町
CIMG0902.JPGCIMG0905.JPGCIMG0922.JPGCIMG0944.JPGCIMG0957.JPGCIMG0958.JPGCIMG0951.JPGCIMG0986.JPGCIMG1017.JPGCIMG1019.JPG2月2日〜11日、現地合流の人も含め延べ11人が参加した「ドイツ・幼児教育の原点を訪ねる旅」の報告です。

私たちは先ずドイツの南部バイエルン州のニュルンベルクで毎年行われているおもちゃ博覧会を見てまわりました。ネフ社など馴染みのメーカーのブースに行ったり、新商品を見せてもらったり、充実の3日間でした。

そのあと幼児教育の創始者として世界的に知られているフレーベルの足どりを訪ねました。

〈幼稚園発祥の地を訪れて〉
2月5日、私たちは旧東ドイツ、チューリンゲン州のバート・ブランケンブルクにあるフレーベル博物館を訪れました。ここはフレーベルが初めて作った幼稚園があった場所で、建物は当時のまま残っていてそれが今は博物館になっています。フレーベルが使った当時の貴重な恩物(ドイツ語でシュピール・ガーベ、英語ではプレイ・ギフト)のオリジナルも展示されています。私たちは博物館管理官の女性ロクシュタインさんと他の学芸員さんにお話を聴きました。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベルFriedrich Wilhelm August Fröbel(1782年 - 1852年)は、初等教育の祖といわれるスイスのペスタロッチの元で2年学び、彼のやり方をより小さい子供たちの教育に当てはめ、このバート・ブランケンブルクにKindergarten=子どもたちの庭という今や世界共通語にもなっている教育的コンセプトを実践的に展開していきました。

フレーベルは幼児の心の中にある神性をどのよう伸ばしていくかと考え、子どもは全てを持っているが発展の途中であり、大人はそれを引き出す手伝いをするのだと考えたようです。そのためにかれは幼時期の教育内容としてA遊びを中心にすることと、B植物を育てること、の大きく2つの事を提唱し、早期教育は否定しました。

〈遊具の提唱〉
フレーベルはAの実現のたCIMG0972.JPGめ子どもが遊ぶ中に恩物という遊具を使うことを提案しました。20種類ある恩物のうち1番は毛糸のボールです。球体は自然界における完全な物と考えていたようです。そしてこのボールは3〜4ヶ月の赤ちゃんが認知するために大事なものだということです。2番以降前半の大部分は幾何学的な構成玩具ともいえるもので、これらで人生の形(レーベンスフォルム)の構造が理解できるとしていました。(後半10番以降の恩物には、縫う、描く、編む、織る、砂遊び、粘土遊び、日本の折り紙のような物が含まれていますが、今回は前半の話を中心に聴きました。)恩物とは直訳すれば「遊びの賜り物」、すなわち遊具やおもちゃの原点といえるものではないかと私は解釈しています。

〈園庭に対する考え方〉
またフレーベルは庭師が植物の本性に従って水や肥料をやり、日照や温度に配慮し、また剪定するように、教育者も子供の本質に従ってその成長を保護し、助成するように働きかけなければならないと主張しました。

さらに、そういう思想からフレーベルは、花壇や菜園や果樹園からなる庭を園庭に必ず設置すべきとし、Bの実現、植物を育て自然を観察し、自然に関わることを推奨しました。そこから彼のKindergarten=子どもたちの庭、日本語ではなぜか幼稚園という名称が生まれたのですね。

〈その後の展開〉
フレーベルはこの幼稚園を両親のための場所とも考えていたようで、遊びを説明したり、歌集を作って歌を教えたりしていたということです。さらに幼稚園の教員養成も積極的に行いました。

1840年、世界初の幼稚園が開設されると、これを皮切りに、プロイセン全土に幼稚園が拡大していったそうです。日本はまだ江戸時代、やっと黒船が来て、近代が始まろうとする時代です。

一番下の写真はフレーベルがこの場所に作った当時の幼稚園の全貌。この建物の上に園庭が見える。今の園庭というより菜園のような感じだ。園庭は運動をさせるためにあるわけではないようですね。

この記念すべき地でこうした説明を聴き、参加者の中には感激で涙を浮かべる方もいました。(ロクシュタインさんたちの話とWikipedia等を参考に書きました。)

写真上から
1、博物館外観
2、入り口に置いてあったポスター
3、皆でお話を聴きました。
4、同上
5、恩物 1番と2番
6、同じく3番とそのパターン表
7、恩物 5番
8、プレイルームに置いてあったそのほかの恩物
9、ジーナ社の構成玩具。手前右はフレーベル恩物。ほかのも恩物の流れを感じる。
10、それのパターン表
11、フレーベルがこの場所に作った当時の幼稚園の全貌。丘の上に園庭が見える。今の園庭というより菜園のような感じだ。赤い屋根の建物が園舎、今は博物館。


CIMG0420.JPGCIMG5707.JPGCIMG7633.JPGCIMG7638.JPGCIMG0292.JPGCIMG7636.JPGCIMG7637.JPGCIMG0264.JPGCIMG0282.JPGIMG_5054.JPGCIMG0309.JPGIMG_5066.JPG
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日時:2013年7月21日(日)9:45〜19:40
 
場所:今年は会場を普段はアート系映画のミニ・シアターとして有名なサールナートホールに移しました。静岡駅から歩いて2分位の立地が嬉しいです。

朝9:10頃から並んでいる方もいらっしゃいました。

ロビーでは関連の書籍を販売。
ゲームの体験コーナーも、
ハバ社のトラウムラントやデュシマ社のプレイキューブを展示するコーナーも設けました。

今年の保育セミナーはグリム童話やケストナーなどの翻訳家で、平和運動家としても知られる池田香代子さんと、金沢市の龍雲寺保育園の園長木村昭仁さんを講師にお招きしました。

 池田さんは最初に日本の江戸時代の子育てについてふれ、当時は親子が和気あいあいとしていたことや、父親も子育てをしているなど素晴らしいものだったという話をしました。浮世絵などからそうしたことが判り、それが西欧に伝わり、子どもは厳しく育てるべきとしていた風潮に変化をもたらしたとのこと。フレーベルの考えなどはそういう状況の中から生まれたものだと話されました。

そして、グリム童話の話や『世界がもし100人の村だったら』を出版するにいたった経緯など話され、さらに、世界の核兵器のことに話が及んでいき、それに関したインパクトのある映画を見せて下さいました。

最後に『世界がもし100人の村だったら・子ども編』も朗読してくださいました。

 木村さんは午後の眠気覚ましにと、いきなりちょっとしたワークショップをされた後、龍雲寺保育園の保育の実際を撮影した40分のビデオを見せながら話をすすめられました。

幼児にとって遊び=教育であること、子どもが遊べる環境を物的にも人的にも整えてこられたこと、生活のことなどを、すごく楽しそうに語られるのが印象的でした。(このビデオはDVDとなって売られています。1,575円)

 この後、百町森の相沢康夫と対談形式で遊びをどう豊かにするかに話が及ぶ中で、木村さんは子どもたちを割烹屋さんに連れて行って料理を教えてもらったことや、運動会を楽しくする「オリンピック新聞」の話など、こちらも資料映像を見せながら具体的に解りやすく話されました。

さらに参加者からの質問にも答えていかれる中で、片付けが遊びの延長の中でされることなど、遊びを中心に据えた保育の真髄ともいえる話も出てきて、素晴らしく充実した時間になりました。

この後、毎年恒例の抽選会をしました。

長い休憩の後、柿田はフレーベルツアーについての報告をしました。
(映像はフレーベルの生家の前で)

相沢は恒例の積み木ショーをしました。(映像は木(ハニカム)で木を作っているところ)