2018/3/31(土) | 18:30〜20:30
【終了】子どもの本を読んで哲学してみませんか?
ル=グウィン著「ゲド戦記」をより深く楽しみ考える
「ゲド戦記」等、すぐれたファンタジー作家であるアメリカ人のアーシュラ・K・ル=グウィンが1月22日に死去されました。追悼の意味もあり、今回、「ゲド戦記」全6巻の中でも、特に一語一句が味わい深く、哲学的示唆に富んでいる第4巻『帰還』を取り上げ、この作品について皆で語ろうと思います。「ゲド戦記」の翻訳家で児童文学者の清水眞砂子さんも、ル=グウィンとの親交のことなどを新聞等に書かれていますが、これらによると、清水さんも、4巻(6巻も)は特別と思われているようです。もちろん、これを機に他の巻を読む(読み直す)こともおすすめします。
今回は『帰還 ゲド戦記第4巻』はお読みになって参加してください。読みながら印象に残った箇所に付箋などを付けておいてください。会では参加者に特に印象に残った部分2カ所とそれをあげた理由をあらかじめ別紙に書いてお持ち頂こうと思います。
ゲストに清水眞砂子さんに来て頂き、会を進めていきます。清水さんにはこの本や、著者にまつわるエピソードなども話して頂きます
「子どもの本を読んで哲学する」会は「哲学対話」(正解のない問いに対し自由に話し対話する。対話は討論と違い、話す前と後で考えが変わる。)という思想を元に、皆で本に対して自由に考えを述べ、対話をする読書会です。
参加費は1人2,500円(会員/中・高生/学生2,000円)※百町森で本を買って頂いた方は文庫本1冊につき100円、ハードカバー1冊につき200円割引します。(自主申告制)
先着4名さままで1台300円で駐車場をご利用頂けます。
対象:親、保育者、学校の先生、図書館員、読み聞かせボランティアをしている方、子どもの本が好きな方、中・高校生、大学生…どなたでも。
会や駐車場の申し込み予約はお電話で。054-251-8700(写真は今回の様子)
さらに、作品自体、いろいろなところにこちらの心に迫るというか、突き刺さるような言葉を用意しながら、読む者がじわーっと包み込まれるような温かさを持った豊かな作品だからなんだということがわかりました。
正直、『ゲド戦記』には理解が難しいところも多く、読んでいて自分自身が歯がゆく思うこともたびたびありました。でも皆さんの彩り豊かなお話を伺い、今度読み直す時には、もっともっと味わっていきたいなと思いました。そう、清水先生のおっしゃった「さんまを(刺身でなく)丸ごと味わうように」(実際にはさんまの刺身は大好物ですが・・・・・)。
読みながら、これはこういう事かな、とスッキリ分かる事だけではなく、今の自分では、何となく分かりそうなんだけどはっきりは分からないような事もたくさんありました。
私にとっては赤いワンピースのところの正義と真実の隙間にかける架け橋である愛だけでふさぎきれないものとは、なにか ということ。
真の力とは何か ということもはっきりと分からないけれど、大事にしたいような見つけていきたいようなことだなぁと思いました。
真の力とは何か。魔法や権力とは違うここでいう真の力。分かるようで、何とは今の自分にはっきり言えない。けれど、この章の、ゲドとテナーとテルーの中にはっきりとあるものだなあと思っています。
そういう今の自分にとっての問題にしたいこと、気になることがたくさんあったけど、1人で読むだけでは流れてしまうということも今回読書会に参加してみてよく分かりました。
それから、皆さんの感想を聞きながら、私もひばりに対して、いてくれて良かった!と思ったんだった!と思い出させてくれたり、コケに対しても、最初はあんまり馴染めなかったけど、読んでいるうちにテナーがコケを好きになっていくのと一緒に自分も好きになっていく事を感じたり…。
他の人の感想を聞きながら自分の感じた事を思い出したり、考えもしなかった感想が聞けたりもしてとても楽しかったです。この本の豊かさをとても感じました。
この章に出てくるテルーの痛み。テルーを育てるテナーの痛み。それからゲドの痛み が、しっかりと描かれていて、そんな痛みをちゃんと大事にしながら最後は三人で乗り越えて行くんだ ということを、反芻しながら気がつき、何だかとても希望を感じました。
清水眞砂子さんにお会いできて、お話が聞けて嬉しかったです。
ワンピースのところで、沢山はいらないけど私有物があることの大切さ、の話にハッとさせられました。自分のものがあることと、自分で居られることは無関係ではないのだな、本当にそうだなぁと思いました。普段、保育園のような施設でもそういう事に鈍感になってはいけないし、仕事だけではなく、自分にも身近な人にも、鈍感にならずに、過ごしていきたい!!と思えた事も今回参加して良かったことです。(保育士)
他の方の感想に共感を覚えうなづいたり、かと思うと、そうかな?それは違うんじゃない?と疑問を持ったり。なかなかその疑問は口に出すまでの勇気はなかったのですが、清水さんが同じ感想を述べてくださった時は心の中でほくそ笑みながら、勇気をもらったり(笑)本当に哲学だなと思いました。
ただ、正直もう少し深く突っ込んだ対話に参加者同士がなれれば、もっとおもしろかったのになと思ったのですが、ほぼ初対面の中の遠慮が漂う中ではそれはやはり望みすぎですね(笑)
私自身ゲド戦記は大好きだったのですが、なかなか読む時間がとれないでいました。若い頃手にした時は闇と戦うゲドの苦しさに共感し過ぎて途中で読めなくなったのでした。
でも今回4巻をこの年齢で読めて本当に良かった。きっと若い頃読んでいたら、かっこ悪いゲドに失望して、テナーを好きにはなれなかったでしょう。今、この年齢で読むからこそ、テナーにもゲドにもとても愛おしさを感じ、日々を大切に生きることの大事さと、これで良いのだという安心を読み終えた時もらうことができました。
個人的にはル=グウィンの描く竜がなんともいえず大好きで、懐かしさとともに、これは竜の本当の姿を描いていると思うことがあり、その辺を突っ込んで話したりしたら面白いだろうなと思ってます。(英語教室主宰)
また理解ができなかったところを理解したり、新たに疑問を感じたり、世代や環境も違う様々な人たちと、考えを交換する中で、自分では思いつかない視点や理解を知ることは、とても重要な機会だと感じます。
それにしても、時間が足らないですね。もっと掘り下げて聞きたいと思うこともたくさんありました。でも、きっと持ち帰って、それぞれで思考する、ということが大事だとも感じるので、時間はちょうどいいのかもしれません。強いて言うならば、発言されている方の背中しか見えないのは寂しいですね。
わが家では、今回娘とわたしで、度々ゲド戦記の話題をしていることで、夫が興味を持ちました。読書がかなり好きな息子も、なぜかゲド戦記を通り過ぎていて、これが機会だと感じたのか、いま読みはじめています。
息子が卒業に必要な、英語の授業のまとめには、自分は、なぜ本が好きなのかを書いていました。そこには、本を通してたくさんの経験が得られること、たくさんの友達ができることを書いています。実際に体験はできなくても、本は確かに、たくさんの心の友を紹介してくれて、その友から、たくさんの励ましや考えを学びとることができます。
参加する前は同年代の人もくるのではないかと期待していましたが、私一人だったので、少し残念でした。考え方はまだ浅いですが、十代の時に正解のないことについて考えるという機会は、貴重だと思います。だから、同年代の人たちにこそ参加してもらいたいと思いました。
私自身今回参加して、自分の読み方が浅いことをとても痛感しました。また、フェミニズムについても人生経験がたったの17年ということで、そもそも思考する材料があまりないということを感じながら、参加者の皆さんの話しを聞いていました。なかなかわからないところもあり、難しかったです。しかし、これから育てていける種を沢山まけたと思っています。
私は、Aspenジュニアセミナーという高校二年生を対象としたセミナーに参加したことがあります。一般的には大人向けのセミナーで、日本アスペン協会が主催しています。このセミナーでは、日本や西洋の古典を読み、皆で対話をしながら、考えを深めるということをしています。ちなみに私が参加した回では、「アンティゴネー」「創世記」「かのように」「エネアデス」の美について、「文明論之概略」「実用的見地における人間学」の抜粋を三日間にわたって読みました。
「読書というのは作者と自分との対話であり、自分一人でするものだというのが、一般的な考えだ。しかし、私たち一人で読むには難しいところを皆と一緒に読むということが、一つこのセミナーの面白いところだ」とはじめにアスペン協会の方から伺いました。
柿田さんが最初に、討論ではなくて対話だとおっしゃいましたが、アスペンのセミナーでもそれを聞きました。英語で言うならば、debateやdiscussionではなくてdialogueであると聞きました。話していく中で、他者の意見が自分の考えに重なっていき、初めの考えと話が終わった後では、考えが変わっていくというものがダイアログだと、そう聞きました。
ほかに今回感じたことがあります。以前ゲド戦記を手に取った時は、正直内容が難しく、なんとか最後まで読んだものの、理解はあまりできず、様々な情報が頭の中をぐるぐると回っていました。しかし、時間をおいて今回読んで、さらに違ったことを感じられました。私はナルニア国物語が大好きで何回も読んでいますが、それと同じように、読む度に考えが深まり、変わるのだと改めて感じました。
フェミニズムの話題を話している時に、「子供達を見ていて男の子が良くできる傾向にあること、女の子が良くできる傾向にあることがある」とおっしゃっている方がいました。そこで、以前聞いた差別と区別は違うという話を思い出しました。
フェミニズムについては、まだ社会人ではないことと、あまり意識してこなかったこともあり、私は今社会でフェミニズムについて聞くと、そこまで意識するべきものなのか疑問に思ってしまっています。また、女が被害者というようなイメージがつきやすいですが、男尊女卑ではなくて女尊男卑という場合もあるのではないかと、思っています。(特に例は思いつきませんが…。)
しかし、ゲド戦記ではよく描写されている日常生活での男女の役割分担を良いとは思っていません。だから、テナーが息子のヒバナに食器を洗いなさいと言うところは、テナーの気持ちがよく分かりました。
輪になって座って発言者の意見が聞けるわけではありませんでしたが、ゲド戦記を題材とした対話を通して、様々なことを考えることが出来ました。
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そして思い出したのは、自分の娘のことでした。私がこれはいいなあと思って娘に服を買ってきても(例えそれがハンカチでも)、娘は「ありがとう」とは言いますが、ほぼ身につけることはありません。そして私は「ああまたやってしまった」と思うのです。テナーの姿がそれに重なりました。
そして、表紙を見てまた更に考えが変わりました。どんな思いで選んだにせよ、テナーが選んだ「赤」は、かわいらしい女の子に見える赤ではなくて、燃える炎のようなテルーにぴったりの龍の赤だったのでした。人との思いの伝え合いは何がどこにつながっていくのかわからないのが面白いです。
・以前持っていた力を失ったゲドは、そのことについて無念や屈辱を感じている。
・火の中に投げ込まれ捨てられた子どもテルーは、彼女を傷つけた存在やその他いろんなものに怯えている。
・独り立ちした子どもを持ち、農園の主であり、後家であるテナーは、傷ついたゲドとテルーを守りたいと思い 、そうするだけの力を必要と考え、人と人との間にある力関係について、特に女の力と男の力の違いや差について、始終考え続けている。
私は読んでいる間、登場人物たちから、支配しようとする者への怒り、失ったもの(ゲドの力であったりテルーの本来あったはずの身体であったり)に対する悲しみや辛さ、見知らぬ者に対する人の残酷さを、強く感じました。農作物や家畜を育てたりして生活する素朴な世界には歌や踊りや祭があるのに、彼らの周囲にそういったものが出てこないこと(テナーが教えてもテルーは歌が歌えない。農園の管理が忙しいにしてもすぐ近くでは祭りなどの楽しみが登場しない。)や、常に3人が彼らを取り巻くものに脅かされていることも、負の出来事や感情を際立たせて いるように見えました。
ですから、あとがきに紹介されていたオックスフォード大学での著者の講演録に目を通したとき、著者の感じる力のあるものと無いものの差と、それに対する怒りや悲しさが作品に反映されたのかと思ってしまいました。
ただ、テナーはゲドやテルーの自分が理解できない部分に悩みつつも2人を愛していますし、彼女自身の子どもが身勝手な男に成長したことを悔やんではいますが見捨てはせず、必要であれば助けに来ると言っています。ゲドとテルーも色んなことに傷ついてはいますが、ゲドは力を失ったままでもどうにか生きようと努力し、テルーは傷つけられた事件に怯えながらも、ゲドとテナーを父母として慕いながら成長しています。
この『帰還』はテキストどおり 読むと、テナーという女性の家族を守るための戦争を書いたものに思えました。そしてテナーは愛情深い強い女性です。
私が読んでいる間感じた負の力の大きさは、これを読む年代や人の性質により変わり、全体の印象や捉え方も変わると思います。
この『帰還』に限らず、作品自体の語る声がちゃんと聞こえると良いのですが、正確に捉えることがいつも難しく、考えさせられる作品に出会うたびに悩ましく思っています。(図書館司書)
- 名称:
- 子どもの本を読んで哲学してみませんか?・・・ ル=グウィン著「ゲド戦記」をより深く楽しみ考える
- 開催日:
- 2018/3/31(土)
- 時間:
- 18:30〜20:30
- 場所:
- 百町森 プレイオン
- 料金:
- 一般2,500円 会員、中・高生、学生2,000円(税込)