06 絵本の移動販売車「プークマ号」
子どもの本を普及させたいという思いで専門店をはじめたものの、なかなか思うように本が売れずにいた頃、私は図書館車のようなものでこちらから出向いて本を売ってはどうか、という考えに取り付かれました。昔、私の子ども時代に、ロバが引いたパン屋さんがやって来て、母がそこからよくシュークリームを買ってくれました。私はそんなことを思い出していたのです。本を売りに来る店があってもいいだろう、と。いすゞエルフを改良すると330万円位かかりました。銀行はとにかくお金を貸してくれたのです。図書の移動販売車の名前は「プークマ号」にしました。マスコミも面白がってくれて、徳光さんの『ズームイン朝』にも出ました。いろんなところから「来てくれ」といわれ、出かけて行きました。本屋が近くにないところほど喜ばれました。
私が外へいくことが増えると店がおろそかになり困っていたところに、相沢氏が、会社を辞めるというので、彼を「プークマ号」の運転手として雇うことになりました。給料は前の会社の半分になったと、今でも相沢氏にちくちくと言われます。
相沢氏からはその2年前にも、一度、働きたいといわれましたが、その時は断りました。経営もまだふらふらでしたので。2年経ち、その頃より売り上げは確実に上がっていましたが、借金も増えてるし、本は利幅の少ない商品なので、その時も、こちらとしても「清水の舞台…」という感じでした。でも、2年間彼は営業マンをしてきたというので、私に無いパワーをもらえそうだと考え雇いました。そして、彼の行く先々で大勢子どもが待っていてくれました。井川(南アルプスのふもと)では、小学校あげて歓迎してくれました。
しかし、出向いて売るというのは想像以上にきつい仕事です。百町森の売りたい本は子どもの小遣いでは買えない価格で、親に理解してもらわなくてはなりません。結局、営業効率が悪く、「プークマ号」はわずか3年でその使命を終えることになります。でも、最近、当時子どもだったお母さんから「どんなに待っていたか…。」と、嬉しかった様子を聞きました。苦しかったけど、やってよかったと思いました。
(コプタ通信2004年10月号より)