19 百町森の夜明け
95年、この年は百町森にとって、全く記念すべき年でした。『プチタンファン』という子育て雑誌の編集者から相沢に、「漫画で絵本を紹介してほしい。」という依頼があったのは94年。彼はその依頼を受け、絵本の絵の中には文章に書かれていない物語があるという視点で幾つかの絵本を紹介しました。これが好評だったため、95年にまた依頼が来た時、「今度はおもちゃをやらせて。」ということになり、まずはリグノとネフスピールについて描きました。そして、これも好評で、次は、キュービックスやアングーラなどクラーセンさんの作品をはじめ、彼が最も愛しているおもちゃについて描きました。この二つは、今、『はじめてセット』と呼んでいるパンフレット一式の中に入れている『パパ、のめり込み度100パーセントのおもちゃ』として冊子になっています。
さらに、3度目の時には通販も出来る様に葉書を挿みました。そして、発売日の翌々日。この日は「井川保育セッション」という百町森も深く関わっていた催しがある日でしたが、ポストに大量の葉書が投げ込まれ、電話での問い合わせもかなりかかってきて、私は出掛けるのが遅くなっってしまったほどです。なんとその時点で、キュービックスやアングーラの注文が、百万円近くになっていました。暑い、暑い、夏の日のことでした。
前の年、百町森の決算は15年目にして赤字経営を何とか脱していたので、この年2月、コンピュータを買いました。スタッフの川島が以前いた会社でコンピュータを動かしていたということだったので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で50万円のコンピュータ(まだ、ウィンドウズなどない時代です。)を買い、顧客と売り上げ管理をできるようにしたばかりでした。これが通販に大活躍したことは言うまでもありません。なんて先見の明があった私! 通販の注文は結局、輸入元でネフの在庫が底をついたこともあって年末まで持ち越されていて、私と川島は夜遅くまで仕事をし、10時過ぎるとかなり冷え込んで寒かったことをよく覚えています。
翌年、そんなこんなで、急に売上が伸びて、百町森に初めて税務署が来ました。税務署の若い職員は、15年間のひどい経営状態をみて、私がどうやって生きてこれたのかと独り言のようにもらしました。
(コプタ通信2005年11月号より)