2017年6月に書かれたブログ

6月23日は「沖縄慰霊の日」。

1945年のこの日(6月22日という説もあります)、日本軍の牛島司令官が自決したことで、組織的戦闘が終結しました。しかし、最終命令で、最後まで戦え、と命じたばかりに、その後も多くの軍人・住民が犠牲になったのです。岩波ジュニア新書「ひめゆりの沖縄戦」から関連部分を引用します(文中の太字は佐々木)。

住民戦没者はなぜ多いか 村上有慶

四月上旬から五月下旬までの主力攻防戦こそが沖縄戦でした。日本軍の主力部隊の70パーセントは、この攻防戦で死んだり傷ついたりしました。(中略)5月28日、第32軍は首里の司令部を撤退し、南部の摩文仁(まぶに)へと司令部をうつしました。この時点で、軍隊どうしの戦争の勝負はついていました

2011年の東日本大震災、福島第一原発の事故から、6年が過ぎました。少しでもお役に立ちたいとの思いから、当初被災地に絵本、児童書を送ることからはじめて、手づくりのボール、ぬいぐるみ、おもちゃなどもお送りしましたが、現在は2団体へのカンパに集約されてきました。

2つのうちのひとつ「未来の福島こども基金」のことをご紹介します。

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この基金は「福島の子ども保養プロジェクト 沖縄・球美の里」の特別支援団体として、福島の子どもの保養の手助けをしています。その他、早い段階からチェルノブイリを支援するなかで学んだことを元に、子どもたちを守るために開設された「いわき放射能市民測定室たらちね」の運営、さらに、この5月には「たらちねクリニック」がオープンしました。

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活動の中で、15年以降子どもたちの健康の様子に変化が現れてきたそうです。具体的には、球美の里の保養のなかで薬を飲んでいる子どもが増えていること、子どもたちの肝機能低下、不整脈、風邪を引きやすい、皮膚病などが特定の集団に起きていること、さらに大人の肺がん、死産、流産の多発など地域の人々の心身の状態が悪化していることを体感するなかで住民の拠り所としての医療機関が必要だったそうです。

あの時、私も原子力発電の負の部分をいやというほど見せ付けられて、エネルギーのことを考え直すようになりました。しかし時が経ち、今また日本で5基の原発が再稼動しています。強く、すべての原発が廃炉になることを願っています。「沖縄・球美の里」では、寄付やボランティアを募集しています。百町森では、今まで通り、ペーパーバッグの売り上げ代金などを寄付させていただきます。

(山崎直子)

静岡FM放送・K-MIXの朝の番組「モーニングラジラ」の「SUZUKIマスタートーク」というコーナー(朝8:30〜)で、パーソナリティの高橋正純さん(ズミさん)と佐々木が電話で10分ほどお話しました。

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