小一問題(プロブレム)のとらえ方に疑問
31日の朝日新聞朝刊に載っていた記事です。
1999年以降、小学校一年生の学級崩壊に関しては、その原因まで考慮に入れて小一問題(プロブレム)と言うようになったようです。しかしこれについて私は以下の3点で反論したいと思います。
授業中立って歩く子がいる、先生の話が聞けないなどが主な問題(行動)だというのだが、その原因が生活の中心が遊びから学びに変わるからだということです。
このとらえ方は、遊びに対しての誤解があるせいではないでしょうか。1、室内で落ち着いて遊ぶということをしっかりしてきた子は、学びもしっかり出来るというのが私の考えです。
そして、小学校からの授業も、皆が一斉に先生の話を聞かなくてはならないかのように、2、一斉授業を前提に記事が書かれているのも疑問です。学校こそ変わらなければならないのでは。
グループに分かれて授業をすれば(これは例えば学力世界一のフィンランドでは普通のようです。)問題の子はもっと少なくなるのではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
グループ学習が当たり前になれば、どのグループもみな先生の話を聞いていなくても、問題ではなくなります。日本の全体主義が問題をさらにややこしくしている気がします。
小一問題(プロブレム)の解決策として、しつけの話が出たり、学校の一斉授業に慣れさせる事を幼児期からさせようとする動きは、どうも本質を見誤っている気がします。
3、しつけの強化を言う前に、家庭でリラックスできない子どもの状況を取り上げる方が、より解決の早道になると思います。家庭の役割として子どもを甘えさせリラックスさせるという重要な機能があると思うのですが、そこが競争社会ゆえに充分機能してないことを、こういう紙面ではもっと取り上げてほしいと思います。
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