2012年3月に書かれたブログ
2番目に訪れたのはオストハイマー社の近く、エックヴェルデンというところにあるランドシューレという名のシュタイナー幼稚園です。2頭の馬が私たちの訪問を待っていてくれました。
馬を飼っている幼稚園なんて日本じゃ考えられませんね! もちろん子どもたちが乗ったりもするそうです。
ここにも雪の王様が飾られていました。壁にはおさなごイエスを抱くマリアさまの絵(ラファエロの「サン・シストの聖母)、これもシュタイナー幼稚園の定番です。子どもだからと媚びるのではなく、大人も鑑賞にたえられる絵を飾るというのもは日本の保育園ではあまり見かけませんね。
今回初めて教えてもらって知ったのですが、この絵、よーく見ると、マリアさまのうしろに大勢の子どもの顔が隠し絵のように描かれています。
私たちが訪れたのは午後3時近く、もう帰りの時間になっていて、なんとなくざわざわしていました。私たちの訪問に少しはしゃぎ気味の子どもたちです。
「これは私たちのお風呂よ。」と自慢げにお風呂に入る女の子、マロニエの実がお湯の代わりです。
魔法使いになりきっているようです。
乗馬ごっこで盛り上がる子どもたち。年少の子が子分のように後からついて行きます。馬を飼っている幼稚園ならこの遊びはさぞやよくされていることでしょう。
つい立で仕切って遊び場をつくるのは、シュタイナー幼稚園の定番です。
つい立の中はままごとのスペースでした。
こちらはお店屋さんごっこのスペース。これはシュタイナーに限らず、ドイツの幼稚園のでは非常によく見かけます。
織り機。
天井や照明が面白いですね。
隅っこにはキッチンがあります。これはドイツの幼稚園の設置基準のようです。簡単なおやつなどを実際に作ります。子どもが何か作るのに参加する場合もあります。
0・1・2歳の子にも圧倒的人気の「だるまさん」シリーズ。
その第1巻がこれ
『だるまさんが』です。
かがくい ひろし作
本体価格850円+税
かがくいひろしさんの絵本は読者との呼吸がぴったり合います。とくにこの「だるまさん」シリーズは赤ちゃんとの呼吸がぴたり、にこにこしない子はいないでしょう。
〈あらすじ〉
腕を組み瞑想にふけるだるまさん。
ページをめくると、四股を踏んでいるだるまさん。
「だ・る・ま・さ・ん・が・・・」と読んでいって
次のページにいくと
どてっ ・・・と、だるまさんが転びます。
ここで小さな読者は大喜び。
またページをめくると、四股を踏んでいるだるまさん。
「だ・る・ま・さ・ん・が・・・」と読んでいって
次のページにいくと
ぷしゅーっ ・・・と、だるまさんの空気?が抜けます。
ここで小さな読者はまた大喜び。
次のページは・・・。
「そんなばかな」
そもそもだるまさんに足なんかあるはずない。
体が伸びたり縮んだりしない。
そう怒る大人もいるかも。
でもそれはナンセンスのユーモアってものですよ。
確かに、まあ単純でばかばかしいっていえばそれまでですが、
小さな読者との息はぴったりあいます。
最後のだるまさんの笑顔で「そんなばかな。」って思った人も許してくれると思われるとても素敵な絵本です。
この絵本、何をかくそう、最初は私自身が受け入れてなかった大人のひとりです。でも、いつも配達している乳児の保育園の先生にバカ受けだったので、見直しました。幼児の前で実際読み聞かせもしてみましたが、その時もみんな笑ってましたよ。
昨日は松岡享子先生の77歳のお誕生日ということで、記念のお話会とパーティーに行って来ました。
松岡享子さんは東京子ども図書館の理事長、たくさんの絵本や児童文学の翻訳家としても知られていますが、お話(ストーリーテリング)の魅力を世に知らしめ、話し手を大勢育てた方でもあります。
私たちも東京子ども図書館のお話の講習会に通いました。というわけで、昨日夕方は東京六本木の国際文化会館にいました。
お誕生日おめでとうございます。
「母の友」4月号に、陸前高田にトレーラーハウスの図書館「ちいさいおうち」を作った話と、先生の生い立ちから現在のご活躍までがちょうど特集されています。素晴らしいですね。
私たちも、もっともっと頑張ります。
2012年の海外版保育セミナーでは、4つのシュタイナー幼稚園を見学しました。
最初に訪れたのはゲッピンゲン近郊のバッド・ボールというところにあるFilstalシュタイナー学校の中のシュタイナー幼稚園です。学校と同じ建物の中です。あらかじめ見学を希望していたので、私たちの訪問を待っていてくださいました。
入ってすぐ感じたのは、室内がピンク色だということ。これは子供が母親の胎内にいた時の色に近いから安心するという、シュタイナー幼稚園独特の考えからきているものだと思います。
真ん中に飾られているのは雪の王さまだということです。季節感を表しています。フェルトや絹の布を使うこういう飾りもシュタイナ幼稚園独特ですね。
半分の小さな子たちがトイレにいっている間、残った子たちは先生のテディベアの歌に合わせて縄跳びをしました。これは体育的な遊びというより、わらべ歌の遊びの延長のようなゆるやかな感じでした。
そのあと年長の女の子がクリーム(ヴェレダのカレンドラベビーかな)をみんなに順番につけて回りました。
そしてまた歌が始まりました。「においがするよー」と鼻をつまんだりする楽しそうな遊び歌でした。
食事の時間になりました。これは第2の朝食と呼んでいるものです。みんなでシリアルを食べています。食器は陶器を使っています。
ランチョンマットには先生作の一人ひとりのマークがつけられていました。
防寒着を着て外に行きます。
近くの自然なままの空き地?(公園というほど設備があるわけではない)で外遊び。
帰ってきてテーブル人形劇を見せます。子どもたちは大変落ち着いていました。先生も決して大きな声を出しません。先生と子どもの信頼関係が抜群にできていると思います。園全体が温かい雰囲気につつまれていました。
戦争の反意語は平和だと学校では習いました。
でも、平和なはずの日本で、危険な原発はどんどん作られ、反対を唱える者はホサれ、住民運動が起こらないように大金がばら撒かれてきました。
戦後に生まれ、戦争を知らずに育った我々は、なぜあんなつまらない戦争を起こしたのか、どうして反対しなかったのかと、我々の親の世代に対して思っていました。
今度は我々がどうして原発に反対しなかったか問われる立場です。
反対はしていたけど、どうにもならなかったと言えるのでしょうか?
危ないから止めろという請願書を出したわけでもない。六ヶ所村に行ってデモ行進したわけでもない。命をかけて反対したわけではない。
それどころか、原発推進派の作った「豊かな」社会の恩恵を被りながら生きていたともいえる。
だからおまえにも責任がある。
確かにそう言われると頭をたれて、しょんぼりしてしまう。
でも、でもです。
私はやっぱり反対していた。請願書を出していないけど、その人を偉いと思っていた。
デモに出る人を尊敬していた。
些細な事かもしれないが、胸はって私は言おう。
私は普段からエコな生活をしようとしているし、有機農法をしている人を応援しています。
百町森ではレジ袋を廃止しました。買い物をしてくれる人に、買い物袋を持ってきてくれるように呼びかけています。これだって結構勇気がいることです。そして、どこかで「原発反対」につながっていると思うのです。
小さなエコかも知れないが、積み重ねていけば・・・。
そして、ほんの少しでも、親しい人だけにでも、「原発止めたい」と意思表示をするなら、それは胸はっていいことなんじゃないでしょうか。自分のできる範囲で、生活の中から、平和の運動は始まっているのでは。
私が今、ちょっと不安なことは、社会が混乱している時に、ファシズムが台頭すると歴史が語っている通り、大阪や名古屋で大衆の人気取りをする政治家が現れ、9条のことや南京大虐殺のことについて発言していること。
平和の中にも戦争は始まっているんなと感じています。
この間はSBSラジオでも紹介させてもらいました。保育園や小学校でも読み聞かせをしました。
奥に「世界平和」というテーマを私は感じます。
ニコラス・オールランド作
落合恵子訳
本体1400円+税
〈あらすじ〉
森にちょっと不思議なくまがいた。
だれでもすぐに抱きしめてしまうハグくまさんだ。
普通なら餌にしてしまう太ったウサギだろうと、抱きしめにくいヘビだろうと…。
中でも大好きなのは森の木、その中でも一番大きな、一番美しい木を抱きしめていた時、斧を持った男がやってくる。
ハグくまさんは初めて抱きしめたくないものに出会ってしまう。
で、この時くまがとった行動とは?
力が抜けたユーモアたっぷりのオシャレな絵本です。
3〜4年生になると完全にユーモアを理解するらしく、読んでる途中から、ハグくまさんのちょっと抜けた行動にコメントを入れたりする子がいます。
そして最後は笑いに包まれます。
年長さんぐらいから大人まで
今回、デュッセルドルフ近郊のヴッパタールというところにある障害者が大勢働くトラックスラーハウスも訪ねました。
ここで案内してくれた方は
ここで働く人の障害の程度は軽いもの、重いもの様々です。でも、ここではどんなに大変な障害を持っているスタッフも、例えば『商品を見る』だけの場合でも、すべてのスタッフが商品の製作に何らかの形で関わることができるように心がけています。と言います。
さらに
ひとつの作業をするとき、3時間で終える人もいれば1週間かかる人もいます。でも、それはその人の仕事のペースです。ノルマなどはありません。と。
ここでは、シュタイナー学校で使うノートやフェルトや革の製品、椅子等を作っています。百町森でも扱っているコロイ社の楽器もここで作られています。
コロイの楽器は先ずフォルムが美しいですね。美しいだけでなく、存在感があります。教育の現場では、これらが必ずしもいわゆる楽器としてくくられてしまうものではないのかも知れません。治癒や癒しのための存在、音だけでなく形を含めた存在そのものが、意味あるものとなっているような気がします。さらにそうしたものが障害者が生き生き働くこうした場所から生まれてくる事に感動を覚えました。(施設全般を見学させてもらいましたが、コロイを中心に記事にしました)
それにしても、行政からの援助があるとはいえ、障害者がこうした美しい施設で、生き生きと働き、商業的にも成り立っているドイツという国のシステムにも感動せずにいられません。
資料を提供して下さったおひさまやの坂本さん、写真を提供してくれたMoMoの茂木さん、ありがとうございました。