幼児教育の原点を訪ねる〈1〉フレーベル博物館

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CIMG0902.JPGCIMG0905.JPGCIMG0922.JPGCIMG0944.JPGCIMG0957.JPGCIMG0958.JPGCIMG0951.JPGCIMG0986.JPGCIMG1017.JPGCIMG1019.JPG2月2日〜11日、現地合流の人も含め延べ11人が参加した「ドイツ・幼児教育の原点を訪ねる旅」の報告です。

私たちは先ずドイツの南部バイエルン州のニュルンベルクで毎年行われているおもちゃ博覧会を見てまわりました。ネフ社など馴染みのメーカーのブースに行ったり、新商品を見せてもらったり、充実の3日間でした。

そのあと幼児教育の創始者として世界的に知られているフレーベルの足どりを訪ねました。

〈幼稚園発祥の地を訪れて〉
2月5日、私たちは旧東ドイツ、チューリンゲン州のバート・ブランケンブルクにあるフレーベル博物館を訪れました。ここはフレーベルが初めて作った幼稚園があった場所で、建物は当時のまま残っていてそれが今は博物館になっています。フレーベルが使った当時の貴重な恩物(ドイツ語でシュピール・ガーベ、英語ではプレイ・ギフト)のオリジナルも展示されています。私たちは博物館管理官の女性ロクシュタインさんと他の学芸員さんにお話を聴きました。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベルFriedrich Wilhelm August Fröbel(1782年 - 1852年)は、初等教育の祖といわれるスイスのペスタロッチの元で2年学び、彼のやり方をより小さい子供たちの教育に当てはめ、このバート・ブランケンブルクにKindergarten=子どもたちの庭という今や世界共通語にもなっている教育的コンセプトを実践的に展開していきました。

フレーベルは幼児の心の中にある神性をどのよう伸ばしていくかと考え、子どもは全てを持っているが発展の途中であり、大人はそれを引き出す手伝いをするのだと考えたようです。そのためにかれは幼時期の教育内容としてA遊びを中心にすることと、B植物を育てること、の大きく2つの事を提唱し、早期教育は否定しました。

〈遊具の提唱〉
フレーベルはAの実現のたCIMG0972.JPGめ子どもが遊ぶ中に恩物という遊具を使うことを提案しました。20種類ある恩物のうち1番は毛糸のボールです。球体は自然界における完全な物と考えていたようです。そしてこのボールは3〜4ヶ月の赤ちゃんが認知するために大事なものだということです。2番以降前半の大部分は幾何学的な構成玩具ともいえるもので、これらで人生の形(レーベンスフォルム)の構造が理解できるとしていました。(後半10番以降の恩物には、縫う、描く、編む、織る、砂遊び、粘土遊び、日本の折り紙のような物が含まれていますが、今回は前半の話を中心に聴きました。)恩物とは直訳すれば「遊びの賜り物」、すなわち遊具やおもちゃの原点といえるものではないかと私は解釈しています。

〈園庭に対する考え方〉
またフレーベルは庭師が植物の本性に従って水や肥料をやり、日照や温度に配慮し、また剪定するように、教育者も子供の本質に従ってその成長を保護し、助成するように働きかけなければならないと主張しました。

さらに、そういう思想からフレーベルは、花壇や菜園や果樹園からなる庭を園庭に必ず設置すべきとし、Bの実現、植物を育て自然を観察し、自然に関わることを推奨しました。そこから彼のKindergarten=子どもたちの庭、日本語ではなぜか幼稚園という名称が生まれたのですね。

〈その後の展開〉
フレーベルはこの幼稚園を両親のための場所とも考えていたようで、遊びを説明したり、歌集を作って歌を教えたりしていたということです。さらに幼稚園の教員養成も積極的に行いました。

1840年、世界初の幼稚園が開設されると、これを皮切りに、プロイセン全土に幼稚園が拡大していったそうです。日本はまだ江戸時代、やっと黒船が来て、近代が始まろうとする時代です。

一番下の写真はフレーベルがこの場所に作った当時の幼稚園の全貌。この建物の上に園庭が見える。今の園庭というより菜園のような感じだ。園庭は運動をさせるためにあるわけではないようですね。

この記念すべき地でこうした説明を聴き、参加者の中には感激で涙を浮かべる方もいました。(ロクシュタインさんたちの話とWikipedia等を参考に書きました。)

写真上から
1、博物館外観
2、入り口に置いてあったポスター
3、皆でお話を聴きました。
4、同上
5、恩物 1番と2番
6、同じく3番とそのパターン表
7、恩物 5番
8、プレイルームに置いてあったそのほかの恩物
9、ジーナ社の構成玩具。手前右はフレーベル恩物。ほかのも恩物の流れを感じる。
10、それのパターン表
11、フレーベルがこの場所に作った当時の幼稚園の全貌。丘の上に園庭が見える。今の園庭というより菜園のような感じだ。赤い屋根の建物が園舎、今は博物館。


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