ドイツの旅99(佐々木)

1999/02/07●メッセ最終日〜プッキィ、フレッド・フォス氏〜カイザーブルク(ニュルンベルク泊)

柿田氏は風邪の引き始めのようだ。さいとう氏の風邪をもらったのだろうか?「今日は、ここにいて休む」とのこと。その方がいい。柿田氏は最終日の宿泊予定地であるバンベルクのホテルの予約をWittmannさんにお願いする。彼が言うには、ぜひスモークビールとスモークソーセージを食べなさいとのこと。特にスモークビールはここしかないから、ぜひ試してみてくれと言う。我々はそれを聞いてすっかりその気になる。食事の後、Wittmannさんに昨日の相沢氏のパフォーマンスのビデオを見せ(このあたりが液晶画面を持つビデオの真骨頂か)、ヴィアが出てくると「指先を使うことは、頭も使うことになり、子どもにとって大切なことだ。いいおもちゃだ」と実に本質を突いた感想を言って下さる。VIVOに触ってもらい、値段を伝えると、「安いものだ。最近の親は、テレビを見せすぎる。君たちの仕事はきっと成功する」とのありがたい言葉をいただく。我々は、とても勇気づけられた。わかる人にはわかるのだ。

そのあと彼は、私を裏庭に連れていった。木の下の雪のないところに、小さな白い花(Schneeglockchen:雪鐘草?)と黄色い花 (Schneeglanz:雪光草?)が咲いている。可愛らしい。もし、写真を撮るならどうぞ、と言ってくれる。私がいつもカメラを持っているので、写真が好きなんだろうと考えてサービスしてくれたのだろう。今日は日曜なので奥さんのマルガリータ(Margarethe)さんを紹介して下さる。マルガリータさんにもビデオや森田さんの保育園での積木遊びの写真も見てもらう。その後、相沢氏にも裏の花を見せに行く。

「ねぇ、スタプシィ来て。素敵なお花を見つけたの!」「ジルケ待って〜」「もう、遅いわよ。スタプシィったら」と、ジルケごっこもしてしまう。

いつものように、車でメッセ会場へ。この送りも今日で最後かと思うと少し淋しい。いつもよりも、Wittmannさんに色々と話しかけてしまう。元パイロットで、飛行機のインストラクターをしていたこと。今は心臓が悪いので、飛行機に乗っていないこと、今住んでいる家や土地のことなど。明日の朝の段取りも決める。8:45の電車でニュルンベルク中央駅に向かうので、8:15に男性3人はスーツケースを積んで、第一便としてReichelsdorf駅へ。その後、一人の男を車に乗せて、女性の宿へ行くことにする。川島さんに「明日は、君たち女性は家で待っていればいい。荷物を持つ必要はない。荷物運びに男を一人連れて行くからね」と実に紳士らしい言葉をかける。それが自然なので、さすがと感心する。この一言に女性達は狂喜し、Wittmann株がぐぐっと上がるのであった。

今日は露木さんは高橋さんと一緒にミュンヘンへ行くので、Uバーンの駅に近いメイン出口まで付いていく。それから、会場に入場してまず最初にポングラッツさんのブースへ。相沢氏はおよその目星をつけるが、まだ最終決定はしていないようだ。川島さんも黒人のベビーが欲しいようだ。私も欲しいが、まだその時期ではないような気がして今回は見送った(お金もないし)。シンス社のブースに行って、原さんが立ち寄っていないか尋ねる。昨日も、今日も来ていないとのこと。やはり、疲れが出たのだろうか?一応、伝言を預かってもらって立ち去る。明日は、原さんがセッティングしてくれた幼稚園の見学だが、最悪原さんがいなくても、幼稚園の名前や場所、紹介者などは聞いてあるのでなんとかなるだろう。

朝一番で、カスパーさんのLIVING COLORSに相沢氏を連れて行く。10:00からのパフォーマンスを終えて(今日の衣装はもと百町森スタッフの酒井智子さんがつくった作務衣風の藍染めシャツ)、再度、ポングラッツさんのブースに行って最終決定する。サインをしてもらう。結局、川島さんも黒人の男の子を買ってしまった(ななんと!)。昨日、面白かったゲームのブースTHETAに相沢氏を連れていく。途中で、「スカリーノ」のコピー商品も見せる。これが、そっくりそのままのコピーなのだが、仕上げは最悪という代物。こういうことに敏感な相沢氏は大きな声で、「やっぱスカリーノがいいよなー。スカリーノがー!」と日本語で言いながらそのブースの脇を歩いていくのであった(笑)。THETA のブースは相沢氏もかなり気に入ってくれて、いろんな話をしたり、実際にいくつかのゲームで遊んでみたりした。彼(Michael)は、日本でのディストリビュータを捜しているとのこと。我々のつきあっている問屋さんに一応聞いてみることにする。彼は、相沢氏と同様に幼稚園におもちゃを売る営業をしていて、そのかたわらおもちゃを作っているそうだ。

11号館から、順番に見て回ることにする。11号館には、HAGSの三輪車などの生産メーカー(KIDSAM)や、PUKYのブースなどがある。プッキィ社も50周年を迎えたらしく、カタログや社員のバッジに50という数字が大きく扱われている。大きめのブースで、スーツ姿のビジネスマンが多く、会社の規模がよくわかる。新アイテムのゴーカートやショベル付き三輪車を見る。

お昼はドライカレー。久しぶりのご飯がうれしい。途中、柿田氏に連絡を取ろうとWittmannさんの家に電話をするが、ずっと眠っているとのこと。14:00再びネフへ。最後のパフォーマンスはこれまでにない人だかり。相沢氏も、ベストのコンディションで、肩の力も抜け集中力もばっちり。ジェスチャーも表情豊かで、見ている人の気持ちをしっかり掴んでいる。後から聞くと、正面でネフさんが見ていて緊張していたらしい。でも、相沢氏は知らないかもしれないが、ネフさんはいつもどこかから見てくれていたのだ。ネフのチーフデザイナーであるヘイコさんも見ていた。見物人は70〜80人くらいだっただろうか。終わった後、ネフさんは大変喜んでくれて、「何でも欲しいものをプレゼントするから言ってくれ。他のブースのものでもいい」との申し出に、相沢氏は「私が欲しいのはネフの商品しかありません」「では、この中で何が欲しい?」「高いので言いづらいんですが・・・・、バウハウスのチェスでもいいですか?」ネフさんは喜んで「もちろん」。Heikoさんも、相沢氏の遊びっぷりに脱帽といった感じで、非常に相沢氏に対して敬意をはらっているように見えた。

最終日なので、見ていないところをとにかく一通り見る。前から興味のあったフランスのメカノ(Meccano)社も見ることができた。これは、メルクリンのMetalシリーズを発展させたようなおもちゃで、鉄のパーツを自由に組み合わせて、モーターなどの動力も組み合わせることのできるおもちゃだ。東京おもちゃショー以後は日本でも取り扱えるようなので楽しみだ。レゴは巨大なブースにこれでもかとレゴの世界を作っていた。プラレールのようなレールセットやら、日本をモチーフにした「忍者」シリーズには、開いた口がふさがらない。もうその辺には興味はないが、新しいレゴテクニークはかなり格好良かった。あと、コンピュータでプログラムするシリーズも面白そう。どちらも早く日本に来るといいのに。お茶の後、おもちゃ博物館のミュージアムショップによって、ガイドブックを買う。

5時に待ち合わせのネフ社ブースに行くと、Fred Voss(フレッド・フォス:アゴン、ディアボのデザイナー)さんがいた。彼は自作のおもちゃ「アゴン」のパフォーマンスをしばらく見せてくれた。流れるような、という形容にはほど遠く「あれ?こうだったかな?」といった感じで考えながらパターンを作って行くところが印象的で、「人の良いおじさん」という感じの人。相沢氏もフォス氏に会えたことを大変喜んで、「私のおもちゃづくりのアイデアの方法論は、あなたに非常によく似ていて、親近感を覚えています」と言った。以前、相沢氏はアゴンに似たアイデアの積木をネフに送ったことがあり、その時は「同じ様な作品の商品化を既に進めている」と言われて採用されなかったそうだ(コプタ通信95年10月号の絵本とおもちゃの日々参照)。その積木がアゴンである。すると、フォス氏もアイソモに似たアイデアを持っていたとのこと。彼は家具職人で、仕事の合間を見ておもちゃのアイデアを考えているらしい。彼の工房にはアイソモが飾ってあるようだ。非常に気のいいおじさんで、ネフ氏に似たところがある気がした。

露木さん・高橋さんもミュンヘンから戻り、ネフブースで合流。ネフさんは柿田氏が体調を崩していることを大変心配して下さった。ニキティキの方からもお薬を頂いた。さて、メンバーが揃ったので、樋口さん一行と一緒にニュルンベルクのイタリア料理店へ。レバーのスープ、ムール貝のスパゲティなどいただく。奈保美さんは、我々の注文をしてくれた後、すぐに帰ってしまうのであった。食べながら、明日の幼稚園の見学に樋口さん達も一緒に行くことになった。中央駅で待ち合わせることにする。料理店を出た後、カイザーブルク(Kaizerburg:12世紀に基礎が築かれ、15〜16世紀に現在の形となった)へ。ライトアップされた石の城に雪が降り、幻想的な雰囲気。上っていくと、ニュルンベルクの街を見下ろすことができる。本降りになり始めた雪の中で、城の手すりに持たれて街の明かりを見下ろすと、雪が下の方から吹き上げてくる。凍える寒さに早めに立ち去る。

カイザーブルクを後に、Rorentzkirche駅へ向かう。中央広場(Hauptmarkt)には、美しの泉(SchonerBrunnen)といわれる17mの塔がある。塔の鉄柵に継ぎ目がわからない金色の環がはめこまれていて、職人の技術の高さを誇るシンボルだったそうだ。3回環を回す間に願い事をし、人に打ち明けなければそれが叶うという言い伝えがある。Museumsbruche(博物館橋?)の上からゆうべ食事をした養老院が見えたので、記念写真を撮る。Uバーンで中央駅-DBでReichelsdorf駅まで。今夜も雪の中を歩いて帰る。帰ると柿田氏はまだ眠っていた。我々も眠る。白木ベッドの中でジルケの様に。

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