プーおじさんのおもちゃの旅2003

2 キンダーメモリーのラベンスバーガーを訪ねる

午後3時頃、クラーセンさんのアトリエを後に、私たちはタクシー代を安く交渉した上で、ラベンスブルクに向かった。結果的にレンタカーを借りるより安くなってラッキー。運転手は髪を赤く染めたお母ちゃんだったが、なんと時速160キロのスピードで突っ走り、他の車をグングン追い抜く。助手席の私はスリル満点だ。途中、ボーデン湖半で休憩し、7時頃、ラベンスバーガー社が予約してくれていたホテル(ガストホフ)に着いた。早速、町の探索に出かけたのだが、日本の観光案内には決して登場しない所なのに、どうしてこんなに美しいのか。14〜5世紀に出来たというこの古い町(アルトゥシュタット)は、城壁に囲まれ、塔が何本も建ち、まさにメルヒェンの世界だった。建物の陰から王様や王女様がひょいと出てきそうである。

アルトゥシュタットの街並み

夕暮れ迫るアルトゥシュタット

次の日の朝、ラベンスバーガー社(以後ラベンス社)の女性社員が迎えに来てくれた。早速ガストホフのすぐそばのラベンス社の美術館にでかける。ここが会社発祥の地であり、数々の名作が生まれた場所であると聞いて感激。

ラベンス社美術館の前で、社員の方と

ラベンス社はOtto Robert Maier氏によって1883年出版社としてスタートしたそうだ。

創設者Otto Robert Maier氏が使った机

翌年にはすごろくの様な物が作られているので、やはり、根っからのゲーム好きだったに違いない。ちなみにお父さんはこの地で本屋さんをしていたそうだ。「帽子とりゲーム」「ラビリンス」「スコットランドヤード」「オリジナルメモリー」など歴史を作ったゲームの初版とおぼしき物をはじめ、おびただしい量のゲームがウィンドウに飾られていた。これでもごく一部だそうだが…。

発売当初の「帽子とりゲーム」現在のデザインとほとんど変わっていない

オリジナルメモリー。1959年当時大評判を巻き起こしラベンス社の屋台骨を支えた

歴史を感じさせるゲーム

帽子とりゲームの盤が床に描かれた部屋。ここにも歴史を飾るゲームが展示されている

次に、いよいよ、郊外にあるラベンスの本社に連れて行ってもらった。現在2,000人の従業員がいるそうだが、ここではその内の約一割が働いているとのこと。システム化され、管理された工場の中を見せてもらったが、私は、そのでかさにとにかく驚いた。現在、製品の六割は海外に輸出されているそうだ。世界のラベンスここにあり!

ゲーム作りの工程を説明する工場内の展示

お昼をラベンス社の社員食堂で食べた後、私たちはDBのインターシティーに乗り北に約一時間、ウルムに付いた。ここはかの天才アインシュタイン博士を生んだ町、世界一高い塔を持つ大聖堂でも有名だ。もちろん、ここに来た以上、その塔に登った事は言うまでもない。768段の石の階段(17世紀の建造物に当然エレベーターなんかない)、途中、高所恐怖症でも閉所恐怖症でもない私であるが、何度も怖じ気づいた。5〜6歳の女の子とすれ違った時、私は覚悟を決めた。それにしても、地上高約150mから見た町の景色といったらなかった。ドナウ川が横切り、得も言われぬ美しさであった。

ウルムの繁華街の向こうに大聖堂があった

大聖堂の上からドナウ川を望む

大聖堂のらせん階段

木のおもちゃの店を通行人に教えてもらって訪ねてみると、小学生くらいの少年たちが、店主と一緒にゲームをしていて、実にいい光景だった。私のつたないドイツ語で、「私も日本でおもちゃ屋をやってます」などと話をして、しばし親交を深めたのであった。

ウルムのおもちゃ屋さんで、少年たちとゲームをする店主

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