プーおじさんのおもちゃの旅2003

4 ランドルフさんを訪ねてベニスへ

実は、今回の旅の最大の目的は、数々のゲームの名作を考え世に出してきた81歳のアレックス・ランドルフさんを訪ねることであった。ランドルフさんのゲームの代表作と言うべき『ガイスター』や『こぶたのかけっこ』などを製作しているドライマギア社を通し、彼がベニスに住んでいることを聞いた。そして、訪ねて行けば喜んで会ってくれるということだったので、日本にいる間にミュンヘンかベニスへ行く航空券も買っておいた。だがドイツに着いた直後、ドライマギア社からアレックスさんが心臓を患って入院したという通知が来た。アレックスさんには会えないかもしれない・・・。しかし、とにもかくにも私たちはベニスにやって来た。

驚いたことに、9月も半ばだというのに、ベニスという所は観光客でごったがえしていた。ドイツでは冬の格好だったのに、ここではTシャツ姿でいられ。わたしのベニスに関しての予備知識は『須賀敦子のヴェネツィア』(文/写真大竹昭子)という本を機内で読んだっきりだったので(つまり、ほとんどなしということ)、ベニスでのわたしはまるっきり浦島太郎だった。車が一台も走っていないなんて現代人には予想もできない。ここではタクシーやバスといえば舟のことだなんて。

ブルーノ・ムナーリの本があるなんて、さすがイタリア!

ムナーリ作のおさるジジがいっぱい

さて、ベニスでまずしなければならない事といえば?そう、もちろん我々はゴンドラに乗り(といっても男二人で乗るのはロマンチックとは言えなかったネー)、そして、お土産にベネチアグラスと仮面を買った。有名なリアルト橋を目指して歩いているうちに道に迷ったので、日本人らしき女性に道を尋ねたら、親切に教えてくれた。彼女はベニスに住んでいるピアニストで、この晩は結局夕飯も彼女の大推薦のレストランでご一緒させてもらう事になった。観光地としてのベニスではなく、ベニスに住んでいる人たちの暮らしについて教えてもらえたのが大変嬉しかった。

かっこいい船頭さん

たいていお客は5〜6人以上。

次の朝、いよいよランドルフさんの家に電話をしてみた。しかし、やはりランドルフさんは入院しているとのこと。電話に出た奥さんは、最初は冷たいご返事だったが、一旦切った後、今度は向こうから電話がかかってきて、病院の前で会いましょうと言ってくれた。

ランドルフさんの奥さんはアメリカ生まれで日本にいるときランドルフさんと知り合ったそうだ。そう、言い忘れたが、ランドルフさんも1960年代に6年も日本に住んでいた。その間、将棋と出会い、今でもご夫婦で将棋をさすそうだ。奥さんは当時から漢字も読めるほど日本語が出来たそうで、我々にも嬉しそうに日本語で話しかけてくる。英語で話をしようとすると、日本語で話せという。

そして、羽生と谷川の対戦をビデオで送ってくれなどというのだ(どうしたら羽生×谷川の将棋の対戦ビデオが入手できるかだれか教えて)。コプタ通信のランドルフさんの特集ページを見せると顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。そして、次の日いよいよベニスを発とうとする空港から、私たちは奥さんの許可を得て、ついにランドルフさんと携帯電話で話をすることが出来た。そして、ニュルンベルクで会うことを約束した。ランドルフさんの健康を祈りつつ、私たちはベニスを後にした。

ランドルフさんが入院している病院

ランドルフ特集のコプタ通信を手に取る奥さん

ランドルフさんの奥さんと

街は水路だらけ

リアルト橋

仮面を売る店で作者と

再び船で飛行場へ

飛行場でようやくランドルフさんとお話ができた!

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