カール・オルフ研修2001
カール・オルフ研修に参加して
2001年7月22日(日)10時05分発のルフトハンザに乗って、私はまたまたドイツにやって来ました。今回の旅の目的は、カール・オルフ(Carl Orff)の音楽教育について知るためです。オルフは「カルミナ・ブラーナ」という曲の作曲者として日本でもよく知られています。しかし、ドイツではむしろ音楽教育での功績の方が知られているかもしれません。日本で中心的にそのオルフの教育を実践している柴田礼子さんの研修ツアーに、今回私は参加しました。
オルフ小・中学校のシンボル
ミュンヘンから南東へバスで1時間半、トラウンヴァルヒェンという小さな町に、カール・オルフ・シューレという名の小中学校が一緒になった学校があります。この町は、オルフとちょっとした縁があり、一種の村おこしとして、この学校を建てました。講堂はさすがに音響効果抜群で、「お金かけたなー」って感じです。普通の学校に比べると、音楽の授業が多くとられているということでした。
講堂
この由緒ある学校の音楽室などを借りて、私たちも研修を受けたのです。23日(月)〜27日(金)まで、私たちは毎日、だいたい8時半〜6時までというかなりハードなスケジュールで、オーストリアのザルツブルグにあるモーツァルテウム国立音楽芸術大学(この中にオルフの研究所があります)の先生などに来ていただき、実際にどんな風に小学校の音楽の授業を行うかなどの授業を受けるのです。
学校から見たトラウンヴァルヒェン村
23日(月)いよいよ授業が始まりました。最初のウルリケ・ユングマイヤー教授の授業の時、私ははたと気づいたのですが、私以外の参加者は、たいてい音楽の先生ということで、全く音楽について素人の私は緊張が走ってしまいました。ウルリケ先生は、最初「名前あそび」から始めました。名前を言うだけでも、音のリズムや高低があり、すでに音楽的であることに気づかされます。授業は全て機知に富んだものでした。子ども達の日常の何でもないところにも、音楽的要素があると気づかされます。残念ながら、授業の内容について、文章ではほんとうに表現できません。
オルフ小・中学校の入り口
また、二日目(24日)から登場したレオナルド・リベイロ・ホルカド先生は、自然素材の道具を上手に出してきて、「音楽」の発見をしていくような、たいへん温かい、それでいて考えさせられる授業をしてくれました。先生の授業の多くは、身体に触れることから始まります。例えば、目をつぶっている子の手に葉っぱを置いて、何だと思うか想像させたり、葉っぱが落ちる時の音を「ララシシファファド ララシシファ」という風に考えて、様々な落ち方を皆で考えていく・・・というように。「先生も子どもから学ぶ」というような精神に貫かれていて、授業を受けている私たちも、たいへん嬉しい気持ちにさせられました。さて、この日私たちは、なんとカール・オルフ亡き後、事実上ナンバーワンのヘルマン・レーグナー教授の授業を受ける幸運にも恵まれました。 (これについては次回に)柿田友広