アレックス・ランドルフさんに関する記事(Brett & Board)
デンマークのゲーム・ファンMikさんのサイト「Brett & Board」に掲載されたアレックス・ランドルフさんに関する記事を翻訳掲載いたします。
2004/5/11 百町森(佐々木)
原文はこちら:Brett & Board News(現在は閉鎖)
アレックスへの哀悼
Condolences to Alex
レオ・コロヴィーニ Leo Coloviniは、追悼帳をつくった。みんな、アレックス・ランドルフへの最後のメッセージをそこに送ろう。きっと彼の家族や友人を励ますに違いない。
レオ自身の言葉はベニス・コネクションのトップページに掲載されている。フランク・ブランハムFrank Branhamの翻訳を掲載する。
さようなら、アレックス
アレックスの偉大な心臓が今夜止まった。ゲームプレーヤーのみならず、世界中にとって、これはとても大きな損失である。彼が長年住んだここベニスにおいて、私たちは彼に深い愛情と感謝を捧げている。とりわけ彼を父のように愛した人から。そしてもちろん、ゲームの箱に自分の名前が印刷されているのを見て、名誉と喜びを感じたことのある人すべてが、直接的または間接的に彼に大変感謝している。
世界中の何百万人の人々が、彼のゲームで遊んでいて、さらに今後も遊び続け、ゲーム界において彼は本当の伝説となる。彼が呼ばれてきたようにオールドマスターは、ゲームの発明者という概念の発明者として尊敬されるだろう。
レオ・コロヴィーニ
ベニス・コネクション
2004/4/29
アレックス・ランドルフ 1922-2004
Alex Randolph 1922-2004
現代のボードゲームの父が昨夜この夜を去った。5/4の82歳の誕生日のちょうど1週間前である。
彼はシド・サクソン Sid Sacksonと共に、今日我々が遊ぶ典型的なゲームの開拓者であり、世界的に有名な初めてのゲームデザイナーとして、全てのデザイナーの権利のために闘った。彼は、ゲームの箱の表面に自分の名前を付けた最初の人であり、SAZ(ゲームデザイナー連盟)を通して、全てのデザイナーが同じ権利を持つことを保証されるべきであると、強く働きかけた。その功績により、彼は名誉会員となった。
USAに生まれたアレックス・ランドルフは、彼の最初のゲーム、「パンカイPankai」を1961年に発表し、すでに1962年には3Mが、彼の最大ヒット作となる「ツイクストTwixt」を発表した。それから彼は、世界中で多数のゲームを発表し続けてきた。
アレックスは数カ国語を話し、自分自身を世界市民と考えていた。最後の30年間は、「ベニス・コネクション Venice Connection」の舞台ともなったイタリアのベニスに住んだ。
ほとんどのゲームが私を魅了するのは、それが終わりではないと言うことだ。ゲームはいつも変化し続けることができるので、ゲームが生きているように感じる。たいてい、新しいゲームのメカニズムを発明するとき、私は抽象的な美学を好むので、テーマの方への興味はより少ない。
私たちは、君を決して忘れない、アレックス!
2004/4/28