Ein Nachruf auf Herrn Kurt Naef

クルト・ネフさん、ありがとう、さようなら (2006.12.04)

2006年12月4日 相沢康夫 AIZAWA yasuo

とても悲しいお知らせです。去る2006年11月30日、ネフ社創設者クルト・ネフ(Kurt Naef)氏が、逝去されました。享年80歳でした。ネフさんは、ヨーロッパの木製玩具界、最大の重鎮でした。積み木の世界に新たなる広大な地平を築き上げた人でした。そんな偉大な方なのに、少しもえらぶらない人でもありました。

私にとっては精神的な「父」のような存在だっただけに、その喪失感は大きく、心に大きな穴があいてしまったような状態が今も続いています。訃報を聞いて丸一日は、ショックと落ち込みでいてもたってもいられず、(こういう時こそ、全て忘れて仕事をキチンとしよう)と、仕事に専念しました。一昼夜たった今、ようやくこの文を書き始めました。

ネフさんの思い出をたどると、「いつも笑顔だったな」とか「オシャレだった」「どんな時にも品格をたたえていた」といった、美しく楽しいものばかりで、嫌な思い出が一つもない事に驚かされます。優れた作り手はプライドが高い人が多く、他者との衝突も多々あります。ネフさんは作り手でもありましたが、それ以前に優れた人格者だったんだな、と改めて思います。

本当にネフさんがいなかったら、今の自分は無かったと、つくづく思います。私事ですが、ネフさんのおかげで私は「おもちゃデザイナー」になれたのです。デビューのきっかけを作ってくださり、デザインの心を教えてくださいました。ネフ社で製品化できなかった作品をジーナ社(独)に売り込んでくれて、パイプをつないでくださったのもネフさんです。ネフさんのアドバイスで製品化に至った私の作品は、『ツリアモ』『ミラモ』『ヴィア』『ジーナ・ボーン』と4点もあるのです。私にとっては、恩人の中の恩人なのです。

昨年(2005年)9月、ネフさんのお宅を妻とともに尋ね、ネフさんの手料理をいただきました。おいしかった。遠慮のない私達に、夜の11時まで付き合ってくださり、翌日のネフ社50周年記念パーティーでは夜中の2時まで盛り上がったのに・・・・。思えば、あの時すでに病魔がネフさんの体に巣喰っていただなんて、本当に信じられません。

それにしても『Kurt Naef - Der Spielzeugmacher』(ネフさんの伝記)の本が、生前に出版されてよかったと思います。もちろん、ネフさんご本人も、周りの親しい方達も、病気の事を知っていて、出版にこぎつけたのかもしれませんが、せめてもの最後の美しい記念になっただろうと思っています。

最後にもうひとつ。「ネフスピール・パターンコンペ」、ネフさんの病気の事をいっさい知らずに、今年企画したものです。パターンコンペの「お題」に、ほかでもないネフスピールを選んだのは、運命でしょうか? 審査委員長も快く引く受けてくださいました。ご自身が選ばれたパターンには、ていねいに一言ずつコメントまで添えてくださいました。本当に誠実なネフさんらしいと、うれしくて頭が下がりました。(もしかして病状が良くないところに、無理をお願いしたかも?)と、一瞬思いましたが、応募作を「レベルが高い!」と、とても喜んでくださっていたネフさんだから、きっとこの企画はやって良かったんだと思い、自分をなぐさめています。

ネフさんからは本当にたくさんのものをいただきました。ありがとうございます。謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

2006年12月4日 相沢康夫 AIZAWA yasuo

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