エルツのくるみ割り人形の父の伝統
ザイフェンのヴィルヘルム・F・フュヒトナーは、1870年からくるみ割り人形を作り始め、「エルツ山地のくるみ割り人形の父」と呼ばれています。
1851年に出たハインリッヒ・ホフマンの絵本「くるみ割り人形の王様とかわいそうなラインホルト」が、ヴィルヘルム・フュヒトナーにインスピレーションを与えていたことは、1920年の彼自身の写真でもわかります。
80才近い彼が、3体のくるみ割り人形とともに、居間の暖炉のベンチに座っています。彼らは、絵本の中の軽騎兵や消防士、トルコ人に見えます。体に描かれた3〜4本の水平線は、チューリンゲン地方の軽騎兵の制服を表しています。最も異なるのは彼らの帽子です。軽騎兵は鉱夫の帽子をかぶっています。後にそれは、王様の冠に進化します。
フュヒトナ−のくるみ割り人形、特に1925年以降の王様タイプは、エルツ山地のくるみ割り人形の原型と評されています。それらは、明快で基本的なモデル〜固いくるみと子どもの手に耐えうる丈夫な材料で作られている〜によって特徴づけられています。塗装はコントラストのはっきりした、赤と黄色、もしくは青とオレンジです。上着は、シンプルな点と線で飾られています。
Wilhelm Fuechtnerの祖父は、1809年にドレスデンの市 Striezelmarkt にザイフェンのおもちゃ作家として初めて招かれたGotthelf。その伝統は、6代目のVolkerに引き継がれています。
(2005年11月 佐々木)
参考文献(右写真も):Erzgebirgische Volkskunst, Hellmut Bilz
「エルツ山地のくるみ割り人形の父」ヴィルヘルム・F・フュヒトナー(1920年頃の写真)
インスピレーションを与えたとされる「くるみ割り人形の王様とかわいそうなラインホルト」
フュヒトナー工房の作品(1900年頃)
くるみ割り人形まめ知識
1816年にE.T.A.ホフマンが出版した「くるみ割りとネズミの王様」は、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」としても有名です。その後、1851年には「もじゃもじゃペーター」の作者ハインリヒ・ホフマンが「くるみ割り王とあわれなラインホルト」を出版。ここで描かれたくるみ割り王がフュヒトナーの原型になったと言われています。