Nachruf auf Alex Randolph
ランドルフさんへの追悼の辞(spielbox-online)
ドイツのゲーム・ファンサイト「spielbox-online」に掲載されたアレックス・ランドルフさんへの追悼の辞を翻訳掲載いたします。
2004/5/11 百町森(佐々木)
原文はこちら:spielbox-online
アレックス・ランドルフが4月27日の晩、82歳の誕生日を1週間前にして、第二の故郷ベニスで亡くなりました。多くの人々が彼の死を悲しんでいます。
ミヒェル・マッチョス(Michel Matschoss)氏(長年の友人、「ザーガランドSagaland」の共作者、ウイニングムーヴス社(Winning Moves,ドイツ)の経営者)は述べる:
過去25年において、彼ほどゲームの発展やゲームデザイナーの役割、そしてドイツの全ゲームシーンに影響を及ぼした人はいないだろう。著名なゲームデザイナーの一人として、彼は世界中で100以上のゲームを発明し、世界中のゲームメーカーから世に送り出した。
ウイニングムーヴス社の設立者の一人として、アレックス・ランドルフは、その設立に根気強く、彼の経験全てでもって貢献した。私たちには、何よりもその豊かに充実した一生を通して、またたく間に人々の心を捉えた、素晴らしい人物の思い出が残った。彼がついに、エッセンやニュルンベルクにもう来られなくなったとき、私たちは多くの彼の友だちと同じように、彼がいないことによる空虚さをはっきりと感じていた。
彼がいないことを悲しく思えば思うほど、より頻繁に、私たちはこれからも彼のゲームの中で、そして、彼のアイデアの中で何度も何度も彼に出会い、喜んでこの類まれな人物を思い出すことだろう。
同業者団体Spiel(ドイツ語圏のあらゆるゲームメーカーの連合)は、アレックス・ランドルフの死に寄せて述べる:
世界的に有名なゲーム「ツイクストTwixt」「はげたかのえじきHol's der Geier」「ザーガランドSagaland」「テンポかたつむりTempo,kleine Schnecke」などで、アレックス・ランドルフは30年以上もの時間をかけて、ゲーム文化の古典作家となり、ゲームに魅了された人々に喜びと気晴らしを贈ることに成功した。
彼のゲームと同じように、アレックス・ランドルフ自身もコスモポリタンだった。1922年にアリゾナで生まれたアメリカ人である彼は、オーストリア人の子守(家庭教師)から教育を受け、素晴らしいドイツ語能力を得たことをとても感謝していた。その後、スイス系寄宿学校で、フランス語、スペイン語、イタリア語も習得した。この国際的なゲーム文化の殿様は、7年間日本に住んだ後、ついに第二の故郷ベニスに落ちついた。
アレックス・ランドルフの世界の開放性は、彼の作品の多様さにも現れている。彼は最後まで、程度の高い大人のゲームと同じように、子どものゲームのための単純な、しかし天才的なアイデアにも夢中であった。
同業者団体Spielのメンバーは、近代の最も重要なゲームデザイナーに、人々を魅了する才気あふれた人物に、そして最愛なる友に、追悼の意を表する。
ゲームデザイナー連盟SAZは名誉会長でもある彼に追悼の意を表す:
ゲームデザイナー連盟は、ゲーム界におけるアレックス・ランドルフの類なき貢献と、そのゲームデザイナーとしての職業を賞して、3年前に彼を名誉会長に任用した。
ランドルフは多くの若いデザイナーの手本であった。彼らはずっとランドルフを覚えているだろう。私たちは彼がいないことを悲しく思う。
フリートヘルム・メルツ出版社Friedhelm Merz Verlagは、追悼の辞を述べる:
アレックス・ランドルフの死は、私たちの心を深く揺り動かした。彼は、エッセン国際ゲーム祭の主催者として、私たちとこの"Institution(伝授の場)"(彼は親しみを込めてゲーム祭をこう呼んだ)に当初から深く関わった。
彼は、メディアや訪問者に、ゲームすなわち”おそらく最も小さな、しかし有益性のない世界では最も純粋である小さな贅沢品(アレックス)”への情熱でもって、ゲームの素晴らしさを伝えた。そして、私たちもみな感激させられた。彼の素晴らしい気質と、耳を傾ける姿勢、思慮深さ、そして魅力と経験から、彼は時が経つうちに、ゲームをする人やゲームデザイナー、ゲームメーカー、そして全ゲーム界にとって、彼自身がひとつの"Institution(手引き)"となった。
私たちは、素晴らしい言葉を話し、言うまでもなくとても良い友達である彼がいないことを、とても悲しく思う。
愛を込めて
ローズマリー・ギューRosemarie Gueとドミニク・メツラーDominique Metzler(国際ゲーム祭SPIEL主催者)
これらの写真は、ヨハン・リュッティンガーJohann Ruettinger氏が親切にも、私たちに提供してくれたものです。リュッティンガー氏自身も、アレックスの長年の友人です。リュッティンガーがキャシー・カプラーKathi Kapplerと共に経営するゲームメーカー「ドライマギアDrei Magier Spiele」は、アレックス・ランドルフの名前と切っても切れない仲です。十年前、アレックスのゲーム「ベニス・コネクションVenice Connection」で、そのゲームメーカーの歴史は始まり、彼のゲーム「こぶたのかけっこRuesselbande」で大きな成功を収めました。ここ何ヶ月の間、アレックス・ランドルフについての本の制作が、共同して進められていました。残念ながら、彼はその出版を待つことができませんでした。