クルト・ネフとの最後の対話 (2005.10)
手料理をいただきながらのお話
- 日時:
- 2005年9月22日午後
- 場所:
- クルト・ネフ氏宅(スイス・ツォフィンゲン)
- 聞き手:
- 相沢康夫
ネフ社創設50周年の記念パーティーの前日、クルト・ネフさんにご招待いただき、ご自身の手料理をいただきながらのインタビューです。
実際には、この他にも、政治の話、新作の話など、いろいろと伺ったのですが、2005年当時の時点で、私が一番聞きたかったことを中心にまとめました。
このインタビューの後、さらに質問を整理し、またの機会を待っていました。でも、これが最後のインタビューになってしまいました。本当に残念です。もっともっと聞きたいことや、教えてほしいことがあったのに・・・という気持ちです。
2006年12月28日 相沢康夫
- いかがでしょうか?(当時製作中だった『クルト・ネフ作品マップ』を見ていただきながら)
- ネフ氏(以下略)きれいだね。大きさもいいし、とてもよくできている。ところで、何のためにこれを作っているの?
- ネフさんのことを尊敬していて、もっとよく知りたいし研究したいからです。わかりうる限りで、ネフさんの作品を調べたのですが、作品点数は、こんなものでよろしいでしょうか?
- これは一部ですね。
- 具体的には作品点数はどのくらいあるのでしょう?
- わからない。とにかく数え切れないな(ウーム。なにしろ、アバウトというかファジーなネフさんなのである)。
- では、この表にあるおもちゃ(約50点)の2倍くらいはあるでしょうか?
- まちがいなく2倍はあるだろうね。もっともっと多いと思う。(あくまでアバウトなネフさん)
- ネフ社だけでなく、レシオ社(伊)やジーナ社(独)、ユシラ社(フィンランド)などでも作品が作られていますね。
- ネフ社が製品化をしない場合、他社にアイデアを売り込むことがあります。
- 私も、全く同じです。
- 昔は、もっと自由に好きなものを好きなように作れたんだけどね・・・。(ちょっとボヤキ入ってます?)
- 自作のおもちゃの中で、一番好きな作品はなんですか?
- 私には、ものすごく大勢の子どもたち(おもちゃ)がいます。私はその全てを愛しています。まぁ、あえていうなら・・・。今、『ムルティム』が一番気に入っているかな。
- デザインをしていく上で、大切にしていることはなんでしょうか?
- 対象年齢を大事に考えています。遊べる年齢の幅をより広くしたいと思いますね。つまり長年に渡って遊べるものを・・・と考えているわけです。2歳向きのおもちゃ、4歳向きのおもちゃ・・・100歳向きのおもちゃと、別々にあってもいいんだけどね。(矛盾した答えのような気もするけど、ネフさん的には誠実な答なのかも)
- クラーセン氏が『プリズマ』を作った時、『ネフスピール』の影響があったと、考えているでしょうか?(注:『プリズマ』は、アングーラのステンダーの形の積木で、『ネフスピール』によく似ている。もっと言うと、『ネフスピール』の初期の形でもあるのだ)
- なかったと思う(きっぱり)。世の中には、全く同じ時期に、同じアイディアが別々に生まれることがよくあります。
- 私は、フレッド・フォス氏とよくアイデアがかぶります。(笑)
- クラーセンもよく誰それのアイディアが先だとか後だとかということを話題にするけれど、私はあまりそういうことに関心がありません。(デザイナーとしては異例なほどおおらかなネフさん)クラーセンは、とても才能の豊かなデザイナーだけど、今、おもちゃのデザインから離れて、大人のデザインを中心にやっています。私は、それが残念でならないのです。
- その点については、私も同感です。さて、ネフ社の製品はパッケージにデザイナー名が入っていますね。これはどうして入れるようになったのでしょうか? また、いつ頃からでしょうか?
- ある時、ネフ社は、デザイナーを大切にしたいと考えました。デザイナーが良いアイデアを考え、製品化になった時、箱に自分の名前があった方が、うれしいだろうと判断したのです。年代はたぶん60年代中頃からでしょうか・・・。(またまたアバウトなネフさんです)
- 1972年に「ダネーゼとネフ展」がミラノであったと思いますが、エンツォ・マリ、ブルーノ・ムナーリ、ブルーノ・ダネーゼ各氏の印象はどんな感じでしたでしょうか? また、ダネーゼ社(伊)については、どう思われているでしょうか?
- 皆、いい人達でしたよ。ダネーゼ社はヨーロッパの中でも特別な会社でした。デザイナーと個々に契約し、デザイナーとの関係を大事にする点で、ネフ社の考えと共通する所が多々ありました。また、アイデアを最良の品質で作るという姿勢も一致していましたね。
- 影響を与え合う・・・みたいなことはあったのでしょうか?
- それはもちろんです。(その展示会場で)見たり、手伝ったり、考えたりと、いい影響を与え合いました。時には双方デザイナーを紹介しあったり、作品を作ることを依頼したりもしました。
- では、最後の質問です。ネフ社が今日まで50年やってこられたのは、なぜなのだとお考えでしょうか?
- ネフ社のプログラムは最初から2本のラインがありました。ひとつは、哲学や名声、自分たちの考えを世に伝えようとすること。もうひとつは、ビジネスライクに利益を追求すること。この2つのラインがうまくかみあって、ネフ社はやってこられたのだと私は思っています。
- 今日は本当にありがとうございました。
【後記】 短い時間でしたが、デザイナー、経営者と2つの顔を持つクルト・ネフ氏ならではの回答を引き出せたのではないかと満足しています。もう少し、突っ込んだ質問も用意していったのですが、夜も更け、ご老体(失礼)を疲れさせてもいけないと考え、控えめなところもありました。続きは、また次の機会にと思っています。
(2005年10月19日 相沢康夫)